時の経つのは早く、時間は有限である。
藤原道長の父である兼家の死から2年経ち、道長とまひろの別れから数年経った。
道長の若き日の面影は消え、内裏では毅然としたたたずまいを見せる一方、ふたりの妻との夫婦仲も冷えてはいないようだ。特に妊娠中の妾妻の明子とは、嫡妻にできないうしろめたさもあるのか、見つめ合うシーンもある。
一方でまひろは自分の志を見出せずにいた。道長と会えない夜の切なさは、彼女の胸の奥にありつつも、慣れていったようにも感じられる。
真っ白に育てられた道隆、独裁者に
道長の父兼家が、長男の道隆を「真っ白」に育てたのは、自分を超える独裁者にするためだったのだろうか。権力を持った道隆の変貌ぶりを自然に演じる井浦新さんの演技に感銘を受ける。
道隆は、もっとも内裏で血の繋がりの濃い嫡男伊周を最優先にしながらも、弟たちも出世させている。兼家の生前、「悪いようにはしない」と弟の道兼を励ましたのも嘘ではなかったのである。
跡継ぎになれず自暴自棄になり、兄道隆のやさしい言葉に目を潤ませていたのに、道隆の首をとろうとしていた道兼の言動・行動のほうが不可解に思える。
道隆は「体が怠い」と言った。史実どおり道隆の余命はあと僅かである。
道隆、そしてその後すぐに逝く道兼が生きていたら、道長は権力者になれなかったのだろうか。
一方で、道隆は当時の平均寿命から考えると命を落としてもおかしくない年齢だが、道兼の突然の死はどこか不可解である。
史実から考えても不思議なこの事態に、『光る君へ』はフィクションを偲ばせるのかもしれない。
兄たちを嫌い、道長を権力の座に据えたい皇太后の栓子の行動も気になる。
第15話終了時の人物相関図で、彼女は兄の道隆、その息子であり自分にとっては甥の伊周、自分の息子である一条天皇の中宮定子に、不快感を示していることがはっきりとしている。
父道隆の死後、中関白家は追い詰められることとなる。
母に甘やかされて傲慢に育った伊周が、周囲に嫌われるのは時間の問題であり、伊周の起こした事件もあって、中宮でありながら定子は辛酸をなめることとなる。
予告では道隆の次男である隆家もどこか冷めた目をしていて、内裏になじめるのか不安は残る。
史実では定子を追い詰めるのは藤原道長だが、誠実な人物として描写されているこの時点では、定子の姑である栓子が動くのかもしれない。
父のように独裁者ではなく、兄のように傲慢ではない、清らかな印象の定子が見舞われる悲劇は、父の死によって始まるのは間違いないだろう。
なお、伊周と定子は、史実では早死にする。
定子の入内前、視聴者にとって癒しでもあった中関白家の幸福は、どんどんと陰りを見せ始めるのである。
定子によって清少納言と名付けられ、会った瞬間定子に夢中になったききょうは、定子にとってどのような存在になるのだろうか。
表情は明るくても薄暗い屋内にいる妾妻
兼家を呪った日から2年、道長の妾妻である明子は変化を遂げた。彼女の表情から、夫道長への愛が感じとれるようになったのである。
明子の父は兼家への恨みを晴らせないまま亡くなったが、道長の嫡妻倫子の父が危篤だと聞いた時、彼女は「お急ぎくださいませ」と心から心配して道長を見送る。
妾仕草とでも呼ぼうか。
彼女は道長の子をみごもり、夫に心を許しながらも妾としての立場をわきまえている。
倫子に対する嫉妬心があったとしても、それを表面化させない。これもまた、上流貴族の娘として教育されたからだろうか。
第15話で気づいたのだが、嫡妻(兼家の妻時姫、道長の妻倫子)は邸内とはいえ、風の入る、日当たりの良い場所で日々を過ごしている。一方、妾妻(兼家の妾寧子、道長の妾明子)は、薄暗い屋内にいることが多い。
兼家を亡くした後、紅葉を背に妾の苦しみをまひろたちと語らう寧子は、兼家の死によってようやく閉塞感から逃れられたように感じられた。
一方、道長の妾にならなかったまひろは、自分の家からよく飛び出して外出している。貧しさゆえに貴族であってもそれができるとも受け取れるが、独身であり、包容力のある父を持つまひろは自由なのだ。
しかし、まひろは夜に邸内で月を見上げると、自分の志について思いを馳せる。
旅先で寧子に蜻蛉日記の感想を伝えた時は、「痛いほど待つ女の気持ちがわかるようになった」と話す。
時を経て、絶対に来ない道長を待つ痛みは、志を得て自分を慰めたい気持ちと同化しているのかもしれない。
道長の政敵となる伊周と、彼を演じる三浦翔平
平安時代にふさわしい面立ちを持つ登場人物のなかで、彫りの深い現代風の美形俳優、三浦翔平さんは、『光る君へ』に華やぎをもたらす。同時に、道長を演じる柄本佑さんと対照的な人物として、外見も内面も描写されている。
弓矢対決で道長に負けた時、顔を引きつらせる様子も、彫りの深い顔立ちだからこそできる演技だろう。
兄の道隆に政治の話をしに来た道長の醒めた表情と対照的である。
それにしてもふたりが袖をめくりあげて弓を射る姿は、視聴者にとってサービスシーンなのだろうか。
着物を着てきゃあきゃあ騒いでいる姫君たちは、数年前の倫子の取り巻きを連想させる。伊周の嫡妻や妾、もしくは伊周の家に仕える女房たちなのかもしれない。
「我が家から帝が出る」
その後のことを暗示するかのように伊周は弓を放つが、その時に限って的に矢は当たらず、叔父道長だけではなく父道隆の前でも面目を失ってしまう。
第1話で幼い伊周と遊んでいた道長は、いずれ甥と政敵になるとは考えてもいなかっただろう。どちらも、特に伊周は史実よりもかなり年上の俳優が演じていて、俳優ふたりの年齢は非常に近い。
これも後々政敵になることを踏まえたうえでのキャスティングなのだろう。
「嫡妻になられませ」
一方、さわに誘われて、まひろは憂さ晴らしに近江の石山寺まで旅をすることになった。
石山寺は紫式部を語るうえで欠かせない場所なのだが、最初、自分の家に旅をする経済的な余裕があるのかと心配する。ここでもまひろの父為時はやさしかった。
「良いではないか。気晴らしになるなら」
弟の祝いの席で琴を奏で、悲しい音色を聞いてから、もしくはそれ以前から、為時は娘が心配だったのだろう。
母を亡くしたまひろには、女性同士で胸のうちを語り合う人は少ない。
以前は倫子もそんな存在になりえたが、彼女が愛していた道長の嫡妻になった今、彼女にとって親友と呼べるのはさわだけだろう。
為時もさわも、道長とまひろの関係を知らず、まひろもそれを打ち明けることはないが、さわとの旅でまひろは久々に明るい笑顔を取り戻した。
「私たち、このままずっと夫を持たなければ、いっしょに暮らしません?」
屈託のない笑顔でまひろを誘うさわ。背後では、乙丸たち、まひろとさわの従者が笑顔でふたりを見ている。
そんな夜、石山寺でまひろとさわは蜻蛉日記の作者である寧子(藤原道綱母)と会った。亡くなった兼家との日々がすべてであり、妾の悲しみを書いて癒したと述べる寧子は、「できることなら嫡妻になられませ」とまひろとさわに言う。
まひろはその夜、ひとり月を見つめて書くことに思いをはせた。
同じころ、まひろとさわの眠る部屋に、道綱が夜這いに来ていた。
当時、夜這いは当たり前のことだった……とは言うけれど
ドラマを見ていると忘れてしまうが、当時の貴族の姫君は、夫以外の誰にも見られない家の奥で過ごしていた。
そのため、『源氏物語』の光源氏のように夜這いをして妾になることは当然だった。
とはいえ、まひろを求めて夜這いに来た道綱は、間違ってさわを抱こうとしてしまい、あわてて逃げる。
道綱を受け入れるつもりでいたさわは、帰り道、「自分には才気がない。殿方を惹きつける魅力もない。家にも居場所はない」と嘆く。
才気もあり、個性的な魅力で道長や道綱を惹きつけ、自分を理解してくれる家族のいるまひろと自分を比べて傷付いたのだ。
それにしても藤原の兄弟は、まひろに惹かれるのだなあとつくづく思う。
来週、道綱が道長にまひろの話をするのはほぼ間違いがないだろう。
加えて次週、久々にまひろと道長は絡むようだ。
ふたりの別れから本作を見なくなった人たち必見の回でもある。