文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

サブタイトルは「おいおい道綱」ー『光る君へ』第15話考察ー

時の経つのは早く、時間は有限である。

藤原道長の父である兼家の死から2年経ち、道長とまひろの別れから数年経った。

 

道長の若き日の面影は消え、内裏では毅然としたたたずまいを見せる一方、ふたりの妻との夫婦仲も冷えてはいないようだ。特に妊娠中の妾妻の明子とは、嫡妻にできないうしろめたさもあるのか、見つめ合うシーンもある。

 

一方でまひろは自分の志を見出せずにいた。道長と会えない夜の切なさは、彼女の胸の奥にありつつも、慣れていったようにも感じられる。

 

 

 

真っ白に育てられた道隆、独裁者に

道長の父兼家が、長男の道隆を「真っ白」に育てたのは、自分を超える独裁者にするためだったのだろうか。権力を持った道隆の変貌ぶりを自然に演じる井浦新さんの演技に感銘を受ける。

 

道隆は、もっとも内裏で血の繋がりの濃い嫡男伊周を最優先にしながらも、弟たちも出世させている。兼家の生前、「悪いようにはしない」と弟の道兼を励ましたのも嘘ではなかったのである。

跡継ぎになれず自暴自棄になり、兄道隆のやさしい言葉に目を潤ませていたのに、道隆の首をとろうとしていた道兼の言動・行動のほうが不可解に思える。

 

道隆は「体が怠い」と言った。史実どおり道隆の余命はあと僅かである。

道隆、そしてその後すぐに逝く道兼が生きていたら、道長は権力者になれなかったのだろうか。

一方で、道隆は当時の平均寿命から考えると命を落としてもおかしくない年齢だが、道兼の突然の死はどこか不可解である。

史実から考えても不思議なこの事態に、『光る君へ』はフィクションを偲ばせるのかもしれない。

兄たちを嫌い、道長を権力の座に据えたい皇太后の栓子の行動も気になる。

第15話終了時の人物相関図で、彼女は兄の道隆、その息子であり自分にとっては甥の伊周、自分の息子である一条天皇中宮定子に、不快感を示していることがはっきりとしている。

 

父道隆の死後、中関白家は追い詰められることとなる。

母に甘やかされて傲慢に育った伊周が、周囲に嫌われるのは時間の問題であり、伊周の起こした事件もあって、中宮でありながら定子は辛酸をなめることとなる。

予告では道隆の次男である隆家もどこか冷めた目をしていて、内裏になじめるのか不安は残る。

 

史実では定子を追い詰めるのは藤原道長だが、誠実な人物として描写されているこの時点では、定子の姑である栓子が動くのかもしれない。

父のように独裁者ではなく、兄のように傲慢ではない、清らかな印象の定子が見舞われる悲劇は、父の死によって始まるのは間違いないだろう。

なお、伊周と定子は、史実では早死にする。

定子の入内前、視聴者にとって癒しでもあった中関白家の幸福は、どんどんと陰りを見せ始めるのである。

 

定子によって清少納言と名付けられ、会った瞬間定子に夢中になったききょうは、定子にとってどのような存在になるのだろうか。

表情は明るくても薄暗い屋内にいる妾妻

 

兼家を呪った日から2年、道長の妾妻である明子は変化を遂げた。彼女の表情から、夫道長への愛が感じとれるようになったのである。

明子の父は兼家への恨みを晴らせないまま亡くなったが、道長の嫡妻倫子の父が危篤だと聞いた時、彼女は「お急ぎくださいませ」と心から心配して道長を見送る。

妾仕草とでも呼ぼうか。

彼女は道長の子をみごもり、夫に心を許しながらも妾としての立場をわきまえている。

倫子に対する嫉妬心があったとしても、それを表面化させない。これもまた、上流貴族の娘として教育されたからだろうか。

 

第15話で気づいたのだが、嫡妻(兼家の妻時姫、道長の妻倫子)は邸内とはいえ、風の入る、日当たりの良い場所で日々を過ごしている。一方、妾妻(兼家の妾寧子、道長の妾明子)は、薄暗い屋内にいることが多い。

 

兼家を亡くした後、紅葉を背に妾の苦しみをまひろたちと語らう寧子は、兼家の死によってようやく閉塞感から逃れられたように感じられた。

 

一方、道長の妾にならなかったまひろは、自分の家からよく飛び出して外出している。貧しさゆえに貴族であってもそれができるとも受け取れるが、独身であり、包容力のある父を持つまひろは自由なのだ。

 

しかし、まひろは夜に邸内で月を見上げると、自分の志について思いを馳せる。

旅先で寧子に蜻蛉日記の感想を伝えた時は、「痛いほど待つ女の気持ちがわかるようになった」と話す。

時を経て、絶対に来ない道長を待つ痛みは、志を得て自分を慰めたい気持ちと同化しているのかもしれない。

 

道長の政敵となる伊周と、彼を演じる三浦翔平

平安時代にふさわしい面立ちを持つ登場人物のなかで、彫りの深い現代風の美形俳優、三浦翔平さんは、『光る君へ』に華やぎをもたらす。同時に、道長を演じる柄本佑さんと対照的な人物として、外見も内面も描写されている。

 

弓矢対決で道長に負けた時、顔を引きつらせる様子も、彫りの深い顔立ちだからこそできる演技だろう。

兄の道隆に政治の話をしに来た道長の醒めた表情と対照的である。

 

それにしてもふたりが袖をめくりあげて弓を射る姿は、視聴者にとってサービスシーンなのだろうか。

着物を着てきゃあきゃあ騒いでいる姫君たちは、数年前の倫子の取り巻きを連想させる。伊周の嫡妻や妾、もしくは伊周の家に仕える女房たちなのかもしれない。

 

「我が家から帝が出る」

 

その後のことを暗示するかのように伊周は弓を放つが、その時に限って的に矢は当たらず、叔父道長だけではなく父道隆の前でも面目を失ってしまう。

 

第1話で幼い伊周と遊んでいた道長は、いずれ甥と政敵になるとは考えてもいなかっただろう。どちらも、特に伊周は史実よりもかなり年上の俳優が演じていて、俳優ふたりの年齢は非常に近い。

 

これも後々政敵になることを踏まえたうえでのキャスティングなのだろう。

 

「嫡妻になられませ」

一方、さわに誘われて、まひろは憂さ晴らしに近江の石山寺まで旅をすることになった。

石山寺紫式部を語るうえで欠かせない場所なのだが、最初、自分の家に旅をする経済的な余裕があるのかと心配する。ここでもまひろの父為時はやさしかった。

 

「良いではないか。気晴らしになるなら」

 

弟の祝いの席で琴を奏で、悲しい音色を聞いてから、もしくはそれ以前から、為時は娘が心配だったのだろう。

母を亡くしたまひろには、女性同士で胸のうちを語り合う人は少ない。

以前は倫子もそんな存在になりえたが、彼女が愛していた道長の嫡妻になった今、彼女にとって親友と呼べるのはさわだけだろう。

為時もさわも、道長とまひろの関係を知らず、まひろもそれを打ち明けることはないが、さわとの旅でまひろは久々に明るい笑顔を取り戻した。

 

「私たち、このままずっと夫を持たなければ、いっしょに暮らしません?」

 

屈託のない笑顔でまひろを誘うさわ。背後では、乙丸たち、まひろとさわの従者が笑顔でふたりを見ている。

そんな夜、石山寺でまひろとさわは蜻蛉日記の作者である寧子(藤原道綱母)と会った。亡くなった兼家との日々がすべてであり、妾の悲しみを書いて癒したと述べる寧子は、「できることなら嫡妻になられませ」とまひろとさわに言う。

 

まひろはその夜、ひとり月を見つめて書くことに思いをはせた。

 

同じころ、まひろとさわの眠る部屋に、道綱が夜這いに来ていた。

 

当時、夜這いは当たり前のことだった……とは言うけれど

ドラマを見ていると忘れてしまうが、当時の貴族の姫君は、夫以外の誰にも見られない家の奥で過ごしていた。

そのため、『源氏物語』の光源氏のように夜這いをして妾になることは当然だった。

 

とはいえ、まひろを求めて夜這いに来た道綱は、間違ってさわを抱こうとしてしまい、あわてて逃げる。

道綱を受け入れるつもりでいたさわは、帰り道、「自分には才気がない。殿方を惹きつける魅力もない。家にも居場所はない」と嘆く。

才気もあり、個性的な魅力で道長や道綱を惹きつけ、自分を理解してくれる家族のいるまひろと自分を比べて傷付いたのだ。

 

それにしても藤原の兄弟は、まひろに惹かれるのだなあとつくづく思う。

来週、道綱が道長にまひろの話をするのはほぼ間違いがないだろう。

 

加えて次週、久々にまひろと道長は絡むようだ。

ふたりの別れから本作を見なくなった人たち必見の回でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

貴族社会では身分が低くてもー『光る君へ』第14話考察ー

『光る君へ』第14話は、異なる場所で悲しみ悩むまひろ(紫式部)と道長が描かれた。

道長と別れて以来、どこか悲しげなまひろであったが、ようやく自分の「志」を見つける。しかしその「志」はたやすく折られてしまい、自分の甘さをも突きつけられる。

今回はいくつかの出来事をピックアップして振り返ってみたい。

 

 

 

「まひろは身分が低い」は貴族社会に限った話

 

「おれら、あんたらお偉方の慰み者じゃねえ!」

時系列は前後するが、第14話でまひろは文字を教えていた子ども、たねの父に怒鳴られる。貴族より圧倒的多数の民であるたねの家族は、日焼けした顔に土まみれの身体で、一生懸命畑を耕していた。

ごく一部の貴族とはわけが違う。

民はみな、自力で生計を立てるのに必死なのだ。一生使わないであろう文字を子どもが貴族の娘から学んで両親の名前を書いた時、たねの両親は激怒したのも当然である。

 

まひろは父である為時が官職にありつけず、自分より身分の高い数々の貴族の家で「女房の仕事をさせてください」と就活をしても断られている。

そういった経験からだろうか。自分の身分の低さは「貴族社会の中で」という大前提のもとに成り立っていると忘れていたのかもしれない。

圧倒的多数の民にとって、まひろは「お偉方」なのだ。

 

少しでも識字率を上げようとするのは素晴らしいことだが、字を覚えて将来的に何ができるかが重要である。

たねの父親は、うちの子どもは一生畑を耕して暮らす、字なんて必要ないと怒鳴る。

たねは両親と共に畑を耕しながら、隙を見てまひろに文字を教えってもらっていたのだろう。

 

まひろは字の読めなかったせいで子を売られた母親を見たのを機に、民の子たねに字を教え始めたのだが、そこに金銭のやりとりは発生していない。

まひろの父である藤原為時一家は貴族の中では貧しくとも、まひろには、お金をもらわないことをする余裕があるのだ。

 

そんなまひろに対して、民がいら立つのも当然だと言えるだろう。

今は亡き直秀のように、貴族である自分や道長に臆することなく近づける民のほうが珍しかったのだ。

 

まひろのいきいきとした笑顔は再び消える。

貴族の生活は民の努力のうえで成り立っている。

だからこそ、まひろはたねの父親に言い返せず、自分の甘さを痛感したのではないだろうか。

 

道長のことを片時も目をそらさずに見つめると言ったけれど

 

まひろと道長の別れから4年経った。

初めて結ばれた夜、この都で片時も目をそらさず道長を見つめるとまひろは話した。

その言葉を道長はずっと忘れている。まひろと別れて妻がいても、道長は、まひろの望む世を作るため、努力を続けている。

ただ、10代だったまひろの放った「見つめる」とは何だったのだろうかと、第14話は問う必要性を感じた。

 

まひろは知らない。

父兼家の死をだれよりも早く知り、亡きがらを抱きしめる道長を。

文字を教えることができなくなった夜、自分と同じように無力感を抱いて月を見つめる道長を。

それでも、まひろの望む世を作ろうと励む道長を。

 

道長の妾妻になっていれば、道長とまひろは共に苦労を分かち合えたのかもしれない。

ただ、まひろは道長の妾にならなかった。

 

そのうえで、まひろの述べた、道長のことを「ずっと都で見つめている」とは何を意味したのだろう。

父の官職もない今、まひろは、噂でしか道長の動向を知ることができない。

 

序盤、道長の嫡妻(正妻)倫子の待つ土御門邸でまひろと道長はばったり会う。道長「ん」とつぶやいただけで無言でまひろの横を通り過ぎる。

帰りを急ぐまひろの耳には、嬉しそうに娘とともに道長を出迎える嫡妻の倫子の声しか聞こえない。

まひろのことで頭がいっぱいになり、うわの空になってまひろの歩いていた道を眺める道長の姿は、まひろには見えない。

 

4年前、駆け落ちしようという道長の申し出を断り、「都であなたを見つめる」と言ったまひろは、どのようにして道長を見つめ続けるのだろうか。

道長は兼家の亡くなった翌朝、その死を知った。

しかしまひろが兼家の死を知ったのはその3日後、父と仲が良く後にまひろの夫となる藤原宣孝を通してだった。

 

道長の妾妻にならないかというプロポーズを断り、彼の住む土御門邸で女房になることもしなかったまひろ。

 

まひろの「見つめる」の意味は、これからの『光る君へ』で明かされるのだろうか。

 

道長の、ふたりの妻に対する接し方

 

第14話は、結婚後、道長がふたりの妻にどう接しているのかも推察できた。

道長にとっては、そもそもふたりと結婚すること自体、まひろの望む世を作るための手段である。特に倫子は自分の恋を叶えて道長の嫡妻になったが、道長にとっては政略結婚も同然だった。

 

そんな彼の冷淡さは、まひろと遭遇した後、倫子に見せた、まるで目の前に嫡妻がいるのを忘れたような態度で示され、やさしさは、自分の子を流産した妾妻の明子を父の喪中にもかかわらず見舞うシーンで提示された。

 

見方によっては明子にも冷たい。

喪中にもかかわらず明子を見舞う道長は、当時の高貴な男性として例外的な行動だったようだが、明子の様子を見てやさしい言葉をかける。

しかしすぐに「また来る」と言って出て行く。

 

土御門邸で待っていた道長の嫡妻の倫子は、妾妻明子の流産を労わりながらも「またお子もできましょう」「私もきばらねば」と嫡妻の余裕を見せようとするのだが、道長はそんな倫子を横目で冷たく見る。

 

恐らく倫子は、自分は愛されていないのではないかと疑念を抱いている。

しかし自分の産む子は道長の嫡妻の子として扱われ、それは道長が倫子を大切にしているという証明になる。

だからこそ子供を産むことにより、夫婦の結びつきを固くしようとしているのかもしれない。

 

子供を成す。それは妻としての義務であった。

 

一方、ききょう(清少納言)はその義務に縛り付けられたくないと話す。

夫や子供を捨てて宮中で女房として働きたい、自分のために生きたい。

そうまひろに告げて、まひろに強烈な印象を残す。

 

妻として、道長の子の母親として、誰よりも道長を支えようとする倫子や、最初は父の仇の息子として見ていた道長に惹かれていく明子。

 

道長の妻たちと、ききょうの夢は正反対だ。

自分の使命を見出したいと願うまひろは、4年前、一度は道長のプロポーズを受け入れようとしたが、今の自分の使命を見出そうとする姿は、道長のふたりの妻よりききょうに近い考え方だ。

 

皮肉なことに史実では、倫子と明子はそれぞれ道長と枕を共にし続けて、それぞれ同じ数の子どもを産んでいる。

 

令和の一夫一妻制で身分差に関係なく結婚できる今の日本なら、道長とまひろは恋愛結婚をしただろう。

平安時代の身分の壁は、まひろというファム・ファタルのいる道長に真の意味で愛されることのない、倫子と明子の人生まで巻き込んでしまった。

 

道長の妻たちに対するやさしさも、どこか夫として振る舞う必要性を感じたうえでの演技に見える。

4年前にまひろから送られた漢文を今も大切にしている道長には、別れてから月日が経っても、ずっと心のなかにいるのはまひろなのだ。

 

兼家の死が兄弟のこころのつながりを断つ

兼家は血のような色をした月を見ながら、誰にも看取られず息だえる。朝になって兼家の遺体に気づいて抱きしめたのは、息子のうち道長だけだった。

 

すぐに宮中で道長の長兄で兼家の跡継ぎに指名された、兼家の嫡男道隆の横暴が始まる。

 

父兼家の思惑で、跡継ぎとして真っ白な道を歩いてきた道隆は、弟の道兼が人を殺したという大きな秘密すら、兼家が暴露するまで知らなかった。

 

道隆にとって自分の弟たちはもう家族ではない。娘や息子の出世を第一に考えた結果、彼は自分の手にした権力で、弟たちを敵にまわしてもおかしくないほどの前例を無視した政治をする。

 

道長にとって、まひろの望む世にするために必要なことは、まずは直秀のような理不尽な死に方をする罪人を減らすことだった。そのために長兄の道隆に直談判をするのだが、道隆は即座に却下して、前例のない要望を命令として受け取ることを強いられる。

 

それでも、今の道長は歯を食いしばってこらえることしかできない。

 

父母に嫡男として大切な育った道隆は、父の生前、弟の道兼にやさしい言葉をかけていたことからもわかるように、あたたかい人柄の長兄のはずだった。

ところが、権力者であった父の兼家が亡くなった後は、父に最後まで傷つけられて参内しなくなった弟の道兼に対して何もフォローをしていないようだ。

 

兄弟の帰る家も今はそれぞれほかの場所にある。

兼家の嫡妻が産んだ三兄弟ではあるが、道隆は今の家族を大切にするあまり、他人になったも同然だった。

 

道隆、道兼、道長は、同じ父母を持つ兄弟でありながら、出世すればするほど他人のようになり、下級貴族であるまひろとその弟のような、あたたかいきょうだい愛はもはや育めないだろう。

そしてそこに、まひろの母を殺した道兼の因果応報も入り混じる。

 

戦国時代から江戸時代までの武家を見てもわかるとおり、身分が高ければ高いほど、兄弟は政権争いをする存在になる。

そこに兄へ、もしくは弟への情愛は感じられない。

平安時代の政治の中枢にいる高貴な兄弟も、同じだったようだ。

 

いちばん下の弟である道長に無茶な命令をくだす姿だけを見ると、道隆と道長が兄弟であることも忘れてしまいそうである。

長男の道隆に真っ白な道を歩ませた、父の兼家は、自分の死後、跡を継いだ道隆が父を超えたとも言える横暴な政治をすることを見抜いていたのだろうか。

 

「生きていれば悔やむことばかり」

和歌の会でききょう(清少納言)に嘆くまひろ。吸いも甘いもかみ分けたような、20歳前後という年齢に見合わない発言だ。

彼女の複数の後悔は何を指すのだろう。

 

幼い道長(三郎)に会いたくて走ってしまい、そのせいで落馬した道兼に母を殺されたこと。

父為時が藤原兼家の命令に従い続けることをやめた時、父のやさしさを喜びをもって受け入れ、宣孝や弟の乳母であるいとのように父の未来を見据えて「今からでも撤回するように」と勧めなかったこと。

道長の妾妻にならなかったことも、含まれているかもしれない。

 

一方でまひろの恵まれている点は、父がやさしいことだ。

まひろが女房になろうと就活をすることも、それを突然辞めたことも、庶民の子に文字を無料で教えていることも咎めない。

ただまひろの結婚に関することのみ不安な気持ちを口にするが、まひろに無理強いをすることはない。

当時の貴族ならこういった父親も珍しく、それだけで満足する娘もいるはずだが、まひろは女であることに甘んじず、使命を見つけてそれを遂げたいと強く願っている。

 

次に道長とまひろが次に言葉を交わすのはいつか

 

来週、まひろは、第14話で亡くなった兼家の妾妻であり、蜻蛉日記の作者である藤原道綱母に偶然会うようだ。

どうか彼女の経験談によって、「妾妻にならなくてよかった」とまひろに思わせてほしい。そうすればまひろの後悔はひとつ消える。

とはいえ同時進行で、嫡妻になっても愛されない倫子の、表には出さない焦燥感も描かれているのだが。

 

内裏では道隆が嫡男の伊周をスピード出世させ、入内させた娘の定子を皇后と同等の中宮に押し上げて、権力を意のままにしている。

道長の無力感を煽るような展開である。

 

道長もまた、まひろにしか見せない表情を失い、まひろの望む世も作れず、父兼家のように横暴になった長兄を諫めることができずに苦しんでいる。

 

まひろと道長の笑顔を見たい。

いっしょにいる姿を見たい。

痛切にそう思った視聴者も多かったのではないだろうか。

 

藤壺であり、空蝉であり、紫の上でもあるまひろ

 

リアルタイムで私は『源氏物語』を再び読んでいる。

光源氏のモデルが道長であることに間違いはないだろう。

 

幼いころからの縁もあり、源氏にとってのファム・ファタルであり、惹かれ合うのを止められずに過ちをおかす藤壺。しかし彼女は身分が高く、それはまひろと異なる。

 

貴族社会では貧しい夫を持ちながら、道長に愛されて、「もし結婚する前に道長と会えていたら」と思いながらも、道長の訪れがあっても二度と関係を結ぼうとしない、我慢強い空蝉。ただ『源氏物語』に登場する多くの女性たちの中で、まひろのように、もっとも源氏にとって特別な存在だったかというと疑問が残る。

 

少女時代から源氏の好む女性になるよう育てられて、源氏に寵愛され、源氏の嫡妻が不在の時は、嫡妻のように振る舞う紫の上。彼女とまひろの共通点は、源氏に寵愛されたことだけだ。まひろとは異なるが「男にとって一番の女になっても、幸福にはなれない」という点では、「どのような立場になっても苦しい」というような和歌を詠んだまひろと重なる点は多い。

 

やがて、道長となまひろの運命は必ずまた交わる。

まひろが、道長と倫子の娘であり、後に一条天皇に入内する彰子に仕えるまでの過程も視聴者の楽しみにしていることなのではないだろうか。

 

ききょうは定子に愛をもって仕えたようだが、まひろにとっての彰子はどのような存在になるのだろう。

 

そしてまひろの「道長を見つめ続ける」という言葉は、どのような意味を持つのか。

 

伏線は必ず敷かれている。

第15話以降も考察を続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっきりとわかった嫡妻と妾妻の違いー光る君へ第13話考察ー

「おかえりなさいませ」

 

当たり前のように土御門邸、つまりは嫡妻(正妻)倫子のもとへ帰ってくる道長。帰ってこない日は妾妻の明子のもとへ行っているはずだ。史実の道長なら、もっと通っている女はいるはず。

 

しかし道長が婿入りしたのは土御門邸であり、日常的に「おかえりなさい」と出迎えるのは嫡妻(正妻)の倫子にしか許されていない。しかも大石静さんによると「まひろか、まひろ以外か」の道長はわざわざ外に新しい女を見つけに行くのもおっくうだろう。結果的に倫子のもとへ帰る日々が圧倒的に多く、「あ、バランスとらなきゃ」と時々明子の屋敷に行く毎日なのではないだろうか。

 

兼家の亡き嫡妻は道長の母、つまり彼は母のもとへ帰る父が当然だとすりこまれている。

まひろも身分は違えど母は父の嫡妻だ。

以前はふたりとも若さゆえの熱情から「まひろを妾妻に」「妾妻でもいい」という流れになりそうだったが、道長の異母兄であり父の妾妻の息子である道綱の苦労を実際に味わっていない。

 

父は、自分の家に帰ってくるもの。

 

そう思っているから、父が他の女のもとにいる日、幼き日のまひろはなぜなのか母に尋ねる。

 

前述した兼家の妾妻の子・道綱は父である兼家の二番目の息子だ。

しかし、次男と呼ばれるのは兼家の嫡妻が二番目に産んだ道兼であり、兼家が出世しても兼家の嫡妻の息子3人のように厚遇されない。

※道兼は汚れ役をさせられているが。

 

その嫡妻がもう亡くなっていても、道綱の母は嫡妻にはなれない。

だからこそ道綱の母は、息子を兼家と嫡妻とのあいだに生まれた三兄弟のように扱ってほしいと会うたびに懇願する。

兼家の後継争いも妾妻の息子である道綱は無縁なのだ。

妾妻のもとで育った道綱は出世欲がなく無邪気に見えるが、だれよりも母のつらさを理解しているので、そう振る舞っているだけかもしれない。

 

妾妻を亡くした後、もうほかに養える女もいないであろうまひろの父の為時は、死んだ嫡妻のいた自分の家で暮らしていて、毎日のようにまひろと会話をする。

母の死からずっと、為時とまひろには確執があったが、まひろはもう子供ではない。誠実で真面目な父を尊敬するようになり、父が官職に就けないとなると「(兼家様は)あなたのお会いできるような人ではございません」という倫子の助言をガン無視して、兼家のもとへ直談判しに行くような、父のために勇気を振り絞れる女性になった。

 

第13話でまひろは「父は人の死を喜ぶような人ではありません」と毅然と言い放ち、今度は家を盛り立てるため女房になろうと、文も送らず貴族の家に直接行って就活をする。

誰とも結婚しないと決めたなら、それしかないと覚悟を決めたのだ。

そこには父への深い愛情と尊敬がある。

 

とはいえ。

まひろが為時の嫡妻の子でなければ、ここまでできただろうか。

嫡妻の子に遠慮をしてしまったのではないだろうか。

 

まひろの親友のさわは、自由に出歩く。

父が前妻の娘であるさわに対して無関心だからだ。

前妻と言っても、恐らくさわは妾妻の子だ。しかも両親はもう別れていて、父は今の妻の子供たちばかりを可愛がる。

母と離れて育てられ、父にもかまってもらえないさわは、夜もまひろの家で酒を酌み交わすこともできるし、いっしょに買い物もできる。気まずい思いをする家にいるより、まひろといっしょにいるほうが楽しいのだろう。

 

まひろより豊かに見えるとはいえ、このふたり、どちらが幸せかわからない。

 

第13話でもまひろには悲しいことがあった。

道長の嫡妻である倫子にやさしくされたあげく、道長と倫子のあいだに生まれた彰子まで見せられたのだ。

「殿にもいつか会ってね」

そう言って微笑む倫子の余裕。

女房になることすら数々の家から拒まれているまひろを「女房に」と助けようとしたのも、100%善意からである。

 

しかし私はそこに、自分とまひろの身分差を当然だと思い、身分の低いまひろと身分の高い自分の夫の関係を一切疑わない、倫子の残酷な一面を見た。

倫子は左大臣家の娘で父が職を失うなど夢にも思わない。

身分の高いことを自覚していて、恋した道長を自分の夫にして、自分は道長の嫡妻でいることに幸福を感じている。

 

まひろが妾妻になっていれば、どうだっただろうか。

道長はまひろのもとに通いつめて倫子を苦しめることになったかもしれない。

一方でまひろは、事あるごとに道長の家は別にあり嫡妻は倫子であると思い知らされ、しかももうひとり、明子という自分より身分の高い妾妻がいることにも悩まされただろう。

 

若い日の熱情に流されることなく、結ばれない運命だと自分に言い聞かせたからこそ、まひろは道長にとって永遠になったのだが、まひろも倫子もそうとは知らない。だからまひろは、道長が土御門邸で自分の送った文を大切にしまっていたと知って驚くのだ。

 

賢い倫子ではあるが、その文が身分の低いまひろからのものだとは夢にも思わず、道長のもうひとりの妻の明子からなのではと推察する。

倫子の幸福に、一点の陰りを見せる文である。

 

こうなると倫子とまひろの会話は、地獄のようなやりとりである。

もはやまひろは、以前のように倫子と純粋な友情を育むことはできないと思い知っただろう。

 

場面は前後するが、仕事中も道長はまひろとの約束を、ずっと覚えている。

まひろの望む世を作ろうと、兄の道隆に意見する場面は見逃せない。

 

悲恋を描きながらも『光る君へ』では花のつぼみのような恋も新しく生まれる。

道長の兄道隆の娘、つまり道長にとっては姪の定子が、まだ幼い元服したばかりの一条天皇と結婚、つまりは女御(妻のランク。中宮の次に高い)として入内したのだ。

 

定子は父からいずれ天皇のもとへ入内するべきだと言いつけられ育てられた。赤子のころから定子の運命は決まっていたのだが、彼女に悲壮感はない。

倫子のように入内するより嫡妻になったほうが幸せだとは、考えたこともなさそうだ。

道隆がそう育てたのだろう。

第13話の大きな癒しは、まさかの道隆一家(中関白家)の楽しそうな姿である。

定子の入内をきっかけとして、中藤原家も政争に巻き込まれていくのだが、まだこの一家の闇は見えない。

 

入内したあとも、定子は年下の幼い夫にやさしく接する。天皇に対してあなたの好きなものは全部好きになると明言して、定子自身もそのことを苦には感じていない様子がうかがえる。

強く明朗な定子に、成長した一条天皇が夢中になるのも時間の問題だろう。

 

ただ、唯一、定子をひやっとさせたのは、一条天皇の母、栓子である。

彼女は定子の父である道隆の妹で道長の姉だ。

父の兼家を嫌う栓子は、父の言いなりになっている長兄の道隆のことも良く思っていない。しかも一条天皇の父に入内したあと、彼女は夫に疎まれ、一条天皇と定子のようにあたたかな愛を育むことはなかった。

栓子が姑として定子を厳しく見る姿勢も、どんどんと強まっていくのではないだろうか。

 

兄弟のなかで栓子の唯一のお気に入りは道長である。彼と嫡妻倫子のあいだに生まれた娘彰子の入内も十年以内にあるはずだ。

その時、栓子が定子と彰子のどちらを重宝するだろうか。一目瞭然である。

 

入内は決して幸せなことではない。

以前、それを左大臣家も実感し、倫子もそう感じたからこそ入内を拒んだ。入内すると嫡妻VS妾妻よりももっと大きな争いが待っている。

道隆の娘である定子も、道長の娘である彰子も、言わずもがな身分が高い。

どちらが女御からランクアップして皇后に等しい地位の中宮になるのか、宮中では話題になり、時代の波にふたりとも流されていくだろう。

 

しかししばらくは、一条天皇と定子の間にあたたかな愛情が育まれるのを見ていたい。

でないと先週のラストのように、私の心が耐えられない。

まひろファンとして、彼女はどうすれば幸せになれるのか考えてしまう。

道長と倫子とのあいだに生まれた彰子を見てショックを受けるまひろ。

別離を選ばず道長の妾妻になっていても、辛かっただろう。

しかも貴族なのに、父と住む家は、同じ貴族である家庭に「女房は無理でも下女なら(雇える)」と自尊心を砕けさせるほど貧しい。

まひろは倫子の女房にならないかという誘いを、たぶん道長と会うのを恐れて「ほかの家の女房に決まってしまいました」と断った。

実際は決まっていないので、今後は倫子の耳に入らないように就活をしなければならない。すぐ近くに住む貴族である限り、それは不可能である。

まひろの女房としての道も、ひとまず閉ざされたのだ。将来的には貴族の家どころか宮中に仕えることになるのだが。

 

庶民に文字を教えることに使命を見出すまひろ、

道長の嫡妻として圧倒的な強い立場を見せつける倫子、

入内してまだ子どもの一条天皇と楽しそうに時を過ごす定子、

今は土御門邸で母の倫子に甘えているが、やがて入内して政治の道具となる幼い彰子。

 

前回から四年経ったという設定だと、ここまで気になる女性キャラが増えるのかと驚くばかりである。

 

余談だが、女主人のまひろが庶民の子供に文字を教えるのをニコニコして見つめる下男の乙丸も第13話の癒しポイントだった。

彼は道長とは別の角度から、まひろに付き従うことで彼女のことをだれよりも見てきた。だからこそまひろの長所を理解しているのだろう。

 

道長は、乙丸のようにずっとまひろに付き従うことのできる庶民に生まれていれば、世を変えることはできなくても幸せだったのだろうか。

 

それはそれで庶民と貴族の身分の差という理由で、まひろと結ばれるのは不可能なのだが。

 

まひろの言っていたように。

庶民がいて、貴族がいて、その貴族にも位があって。

恋愛結婚など夢のような時代である。

高貴な殿方に嫁ぎたければ、妾妻になるしかない。

倫子は自分の恋を実らせ嫡妻という立場も得たが、道長の矢印がずっとまひろに向かっていることには気づいていない。

 

道長とまひろの「永遠」は、どのように形になっていくのだろうか。

そして源氏物語とどのようにかかわっていくのだろうか。

 

 

 

まひろはなぜ「妾になる」と言えなかった?ー『光る君へ』第12話考察-

「妻になってくれ」

「北の方にしてくれるってこと?……妾(しょう)になれってこと?」

 

令和を生きる私たちにとって、結婚と妾は結びつかない。しかし平安時代においては、妾も妻のうちのひとりだったようだ。

 

逢瀬を重ね、結びつきを強めていくまひろ(紫式部)と藤原道長

まだ10代のまひろが、道長が遅かれ早かれ正妻(当時の言葉だと嫡妻)を迎えると知りつつも、好きな人に「嫡妻ではない妾になれ」と言われたことを悲しむのは当然だ。

 

とはいえ通い婚である平安時代、嫡妻と妾が直接顔を合わせる機会はほぼなかったのではないだろうか。女房(現在で言うところの女中)を妾にするケースも多かったらしく、そうであれば妻妾同居という状態になるが。

 

しかし自分と嫡妻が顔を合わせることはないだろう。それもまひろが考えた末に「妾でもいい」と思いをくつがえした理由のひとつだったと私は思うのだが、それはもろくも崩れ去る。

自分と仲の良い左大臣の娘倫子が道長の嫡妻になると決まったのだ。

 

まひろはなぜ道長に「妾になる」と言えなかったのか。

倫子との友情、妾である自分が道長にとって「いちばん」になった時のうしろめたさ、道長が聡明で芯の強い倫子に心変わりする可能性。

いろいろな理由が挙げられるので、ガイドブックを広げると「嫡妻が倫子なら心が耐えられない」とまひろの気持ちは表現されている。

 

源氏物語』で源氏は、葵の上の死後、最愛の紫の上を正妻のように扱った。

 

しかし年月を経て、源氏に、高貴な血筋の女三宮との縁談がくると、正式に女三宮が正妻となり、紫の上の正妻ポジションはもろくも崩れ去る。源氏の正妻にはふさわしくないとされる自分の身分の低さ、女三宮への嫉妬、愛憎にも似た源氏への思い……。

源氏の最愛の妻という立場は変わらなかったが、彼女は再び劣等感に苛まれ、身分の低いほかの妾たちの多くと同様に決して幸福とは言い難い生涯を送った。

紫の上もきっと、まひろのように「心が耐えられない」と感じただろう。

 

紫の上は源氏にさらわれて妻となり、時間をかけて女として源氏を愛するようになる。道長の妾にならない道を選んだまひろと異なる点もあるのだが、まひろはどんなに愛され正妻のように扱われても変わらない妾の懊悩を紫の上に投影した。

まひろは「自分が道長の妾になった場合」のことを考えて、紫の上のキャラクター造形をしたのではないだろうか。

 

そして正妻も正妻で苦労がある。

源氏の最初の正妻である葵の上は、高貴な身分も相まって、当初、源氏に対して冷淡だった。源氏と葵の上は政略結婚によって結ばれた夫婦で、そんな葵の上を源氏も煙たがる。

一方で葵の上は、源氏が次から次へと妾を作り、彼女たちのもとへ通っていることも知っていた。その事実は、当然のことながら、よりふたりの距離を遠くさせる。源氏と葵の上が心を通わせるのは、若くして葵の上が世を去る直前だった。

 

今の時点で『光る君へ』は道長の妻として描かれるのは倫子と明子だけだ。しかし史実では藤原道長には多くの妾がいた。

光源氏と同じように。

 

史実では紫式部(まひろ)には弟のほかに姉がいる。しかしその姉はドラマでは登場しない。

そのため、『光る君へ』に道長が嫡妻の倫子と明子以外の女性と関係するエピソードも出てくるかはわからないが、同じ時代を生きたほかの貴族の男性を見ても、『源氏物語』で多くの妾を持つ光源氏のような高貴な男性は決して少なくなったことがわかる。貧しい貴族であるまひろの父さえも嫡妻であるまひろの母のほかに妾がいた。

 

こういった平安時代の貴族の常識は、現代の私たちから見ると「サイテー」なのだが、平安時代の女性たちは当然のことと捉えざるをえなかった。

そのためか『源氏物語』を読んでいると、作者の紫式部は主人公の光源氏を好意的に描写しているように思える。

 

正妻のほかに妾を何人も持つ源氏。しかし彼は妾たちをもむげにはしない。

末摘花という、ほかの女性たちとは異なる個性を持った女性はその象徴とも言える。

末摘花と関係を持った源氏は、契ってから末摘花が不器量であることを知り幻滅する。この末摘花もこの物語に登場する多くの女性のように、そしてまひろのように、身分の低い貴族の姫君だ。

彼女は夫を持たなければ経済的に困窮する。ここもまひろと共通している。

源氏が幻滅してそのまま見捨てれば、現代で言うところの離婚なのだが、源氏はその後も末摘花が困窮しないよう経済的な援助をする。

 

ここで『光る君へ』の視聴者や『源氏物語』の読者ならわかるかもしれない。

まひろの家は決して裕福ではないが、まひろの父である藤原為時には妾がいる。

その妾は病に伏し死が迫っているのだが、為時は自分自身が官職につけず、貧しいのにもかかわらず最期まで妾を介護をする。

後にまひろ(紫式部)はこの父の妾を末摘花に重ねたのではないだろうか。

通う夫(為時)に見捨てられると孤独死をしたはずのこの女性は、為時のはからい、そしてまひろの行動によって、死ぬ前に前の夫とのあいだに生まれた娘さわにも会えた。

 

このまひろの父が通う妾のエピソードにはふたつの要点がある。

 

見逃しがちだが、さわは為時の娘ではなく、為時の妾の、前の夫の娘である。つまりさわの母親かつ為時の妾には以前も夫がいたのだ。

正妻も妾も立場は違えど妻なのだ。

恐らく夫の通う日が途絶えた時、彼女は妻ではなくなった。戦前は、戸籍に「妾」の項目があったそうだが、戸籍の概念のない平安時代では、夫の通いのない女性は離婚したと見なされたのだろう。

 

その後、どのような経緯を経てかわからないが、彼女は為時の妾となって援助を受ける。そして源氏が末摘花の貧しさを救ったように、この最後の夫は自分を見捨てなかった。

妾と妻の立場は意外と近いのではと思わせるエピソードである。

こうして相手を女として見られなくなっても、一度契ったからには生活を援助する男は、当時の感覚では誠実だったのかもしれない。

 

前者は妾の辛さ、後者は妾にとってのかすかな幸福を表しているが、まひろ自身は父の嫡妻の娘である。

妾でも、こんなに大切にしてもらえる。

聡明なまひろだが、まだ若い。そのように思うようになって、道長と、道長の妾となった自分の将来を彼らに重ねるのも仕方のないことだろう。

何せ愛する道長は位が高く、官職の得られない父を持つまひろは嫡妻になれないのだから。

 

実際のところ、道長の兄たちの妻はそれほど高い地位の娘ではなく、まひろと倫子の身分も二代さかのぼれば近いのだが、道長にとって、まひろの望む世の中を作り上げるためには、出世しなければならない。

そのために左大臣家への婿入りをすれば、道長にとって左大臣は確固たる味方になる。

入内して天皇の女御、いずれは中宮になる可能性もあるほど身分の高い左大臣の娘、倫子を嫡妻とするのは良縁としか言いようがない。

これは道長自身も語っているし、道長の父である兼家も同じように考えている。

 

それでもまひろを愛したい。まひろの身分が低くても「妾」という立場なら、まひろを側において愛せる。

実際にこれは、まひろとずっといっしょにいるための唯一の道である。

 

「妻になってくれ」

 

妾なのに?

最初、まひろは現代の「妾」と同じように捉え、「北の方(嫡妻)ではない」と考えてその申し出を拒否する。

しかしそれを覆そうと思ったのは、父のように妾を生涯大切にする男もいるのだと知ったことが大きいだろう。

 

前提から振り返ってみたい。

身分は違えど道長もまひろも嫡妻の子であり、妾のつらさに無頓着な部分がある。

見知らぬ人の妻になるくらいなら……とまひろは思うが、道長から倫子を嫡妻にする話を聞いた時、紫の上が女三宮の登場で感じたであろう衝撃を受ける。

 

いくら「いちばん」と言われても、妾は妾なのだ。

妾になれば、尊敬し、友情を育んでいる嫡妻の倫子とのあいだに隔たりが生まれる。

それは、まひろと倫子の関係性が潰れるからからという甘いものではない。

どんなに倫子と仲良くしていても、倫子が道長の妾になったまひろを受け入れてくれても、後々道長の正妻になれる倫子と妾にしかなれない自分を比較せずにはいられない。

 

女三宮の登場まで正妻扱いをされてきた紫の上は、多くの妾を持つ源氏に対して、時に怒りをぶつける。

しかし、まひろはそれができない。

道長の嫡妻は、今後もずっと自分の尊敬する倫子だから。

 

涙をこらえるまひろの賢さはここでも活きる。その状況を瞬時に想像できて、パニックになりながらも道長の妾にならないと決めたからだ。

相手を愛すれば愛するほど、砕かれるのも早いだろう。どんなに源氏に愛されても、紫の上が幸せではなかったように。

 

繰り返すが為時の嫡妻の子であるまひろは、妾の辛さを毎日のように目にすることはなかった。だからこそ、父に介護してもらえる妾に夢を見る。

 

史実では藤原道長は、倫子、そして明子とのあいだに複数の子を成すが、道長はまひろの望みを叶えるためなのか、どんどんと自分の子供たち、特に娘を自分の権力の道具にする。

後に一条天皇に入内する彰子もその流れに逆らえない。いずれまひろが彰子に仕えるのも、「まひろの望む世の中にするため」なのだろうか。

 

道長はまひろを想いながらも、他の妻と子供を見守り、まひろのいない場で幸せなひとときを過ごす時もあるだろう。しかしそれは、あくまでも「ひととき」である。

 

『光る君へ』で、倫子は自分の意志を尊重してもらえる左大臣家に生まれ、入内を拒んだ。やがて愛する道長を婿に迎えることに成功したが、道長と倫子のあいだの子どもたちはそうはいかない。

 

成長したふたりの娘の彰子は、一条天皇に入内して道長の兄の娘である定子と同じ、一条天皇中宮(皇后)となる。

皇后がふたりもいることは、当時でも異常事態だ。

 

道長の妾になっていたら、道長の嫡妻の子の運命を目にしたまひろは、それを見てどう感じるだろう。

道長の父である兼家の妾の子、道綱のように、まひろの産んだ子は、嫡妻の子たちより低い位しか得られないかもしれない。大切な子どもを使って頂点に立つ道長に対しての目線も、まひろが妾になるかどうかで変わってくる。

 

「妻になってくれ」

 

身分は異なれど嫡妻の子という意味では共通している道長とまひろ。

ふたりとも道長の異母兄である道綱の母が「蜻蛉日記」に記したような妾の苦しみを味わっていないし、妾であるという理由で苦しむ実母を目にしていない。

だからこそまひろに夢中になった道長はまひろを妾にしようとプロポーズをして、まひろは一時は拒絶しながらもそれを受け入れようと思い直す。

 

しかしふたりとも見えていない。

実際に道長が大きな権力を持つようになった時、自分たちの関係性もまた歪なものになる可能性を。

倫子もまた、正妻として自分の子供たちの未来に想いを馳せることができないほど、道長に夢中になっているのかもしれない。

 

妻にならなかったことで、ソウルメイトというよりも、道長にとってまひろはファム・ファタル(運命の女)になったのではないだろうか。

後にまひろは少女のころから見守ってくれている父親と同世代で、まひろ一家のことを考えてくれる藤原宣孝の妻になる。

実際にまひろは宣孝のことを信頼していて、彼とは身分も釣り合う。

彼女にはいずれ「結婚してくれ」と、道長以外の男からのプロポーズを受ける日がくる。

 

私はさぶまひ強火担なので、最新の第12話での青春期の道長とまひろの別離は非常に辛かった。

一方で道長と倫子の結婚によって「妾でもいい」というまひろの気持ちが砕かれたのは、決して悪いことだったとは思えない。

 

そして、紫式部藤原道長の物語は終わらない。

史実に沿いながらもフィクションを織り交ぜた『光る君へ』を最後まで見届けたい。

 

お題「忘れられない映画やドラマのセリフ」

 

 

若林理央 ポートフォリオ【これまでの執筆記事】

 

2024年2月末

初の商業出版の書籍が刊行!

 

内容

タイトルは『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』

 

産む女性、産まない女性、産めない女性、そして男性。

すべての人がお互いの立場を認め合い、自由な生き方ができる世の中になるよう願いながら、産まない選択をしている当事者である私のエッセイ、6人の女性へのエッセイ、作家の佐々木ののかさんとの対談を収録しています。

 

インターネット、書店(3月時点で取り寄せ可能)で販売中。

大切に書いた書籍です。

 

「普通」とはなんだろう?

この思いを軸に、これからも書籍を発表したいと考えています。

 

自著のインタビュー記事・書評・イベント登壇

ddnavi.com

 

www.70seeds.jp

 

 

 

FLOW産まない産めない女性の幸せな人生計画

066_対談 「チャイルドフリー」産まない選択

 

 bookandbeer.com

 

 

 

今後書籍として発表したいテーマ

以下にご興味のある出版社の方はrio.wakabayash429@gmail.comまでお問合せください。

エッセイ、当事者インタビュー、対談など。

1章分の原稿をお見せすることも可能です。

 

・外国人に日本語を教える日本語教師の体験談。

・精神科病棟に2カ月入院して出会った人たちと入院中の思い。

・ご当地アイドルやイベントコンパニオンだった頃の体験談。

・ネガティブな意味合いでの女子校に通った経験。

・小中高での壮絶な体験

小学生時代:場面緘黙症を患いいじめの被害者に。誘拐未遂事件の被害者になったことや教師から体罰の経験。

中学生時代:場面緘黙症を克服した後に起きたことと、それによる不登校の体験談。

高校生時代:女子校ならではの苦労(仲間はずれ、先生いびりを目撃、周囲との意思疎通の難しさ)

・女社会の楽しさと息苦しさ。

 

フリーライターとして

 

雑誌・出版社のWeb媒体などで取材や執筆をしています。

2023年から首都圏・関西での取材や国内外現地レポートを兼ねたエッセイのご依頼など、ジャンルを問わず受け付けています。

ライター業やインタビュー記事執筆は2013年に始め、現在11年経ちました。

これまでの執筆実績は以下ご覧ください。

 

インタビュー記事

 

企画から取材交渉、インタビュー、執筆まで担当

漫画家(高橋留美子さんよしながふみさん東村アキコさん安野モヨコさん押見修造さんなど)

小説家(村田沙耶香さんなど)

 

インタビュー、執筆を担当

芸能人

片桐仁さん、トクマルシューゴさん(ポプラ社『ジブン未来図鑑』2022年4月刊行)

・海宝直人さん(白泉社『MOE』2023年1月号 アーティストインタビュー)

・キュウさん

・マユリカさん

・カベポスターさん

漫画家

よしながふみさん白泉社『月刊MOE』2023年1月号)

ヤマザキマリさん(白泉社『月刊MOE』2023年5月号)

東村アキコさん

鳥飼茜さん

漫画家×脚本家対談企画

よしながふみさん×森下佳子さん(白泉社『メロディ』2023年2月号)

 

他に在留外国人や企業取材の経験も豊富です。

 

エッセイ

社会で未だ注目されていない事象をテーマにしたエッセイを商業媒体に寄稿しています。

例:

幼少期の精神疾患

巻き込まれた刑事事件

いじめ被害者としての思い

あえて子どもを持たない選択をすること

最近では「当たり前が特別なことになる瞬間」などをテーマとした日常のエッセイも執筆しています。

 

対談

 

漫画家の大沖さんとの対談や、東京モーターショーなどに立つイベントコンパニオンの座談会などに参加し、執筆も担当しています。

 

ご依頼を受け付けている業務内容や料金表はこちらに記載しております。

 

lalecture.hatenablog.com

上記に記載していないお仕事も内容によっては可能ですので、

rio.wakabayashi429☆gmail.com(☆→@)もしくはTwitterのDMにてご連絡ください。

 

これまでの執筆媒体

紙媒体 

MOE(白泉社

メロディ(白泉社 ※対談企画)

ジブン未来図鑑ポプラ社

週刊SPA!(扶桑社)

週刊朝日朝日新聞社) 他

 

WEB媒体 

週刊女性PRIME(主婦と生活社

fumu fumu news (主婦と生活社

好書好日(朝日新聞社

ダ・ヴィンチニュース(KADOKAWA

Real sound book

70seeds

AM 他

 

 

ブックライティングの経験もあります。 

 

経歴

神戸女学院大学文学部卒業。

アイドル、モデル、企業での役員秘書などを経て、2013年からフリーライターとして執筆活動を開始した。兼業で日本語教師とナレーターをしている(日本語教師は2019年9月より休職中)。

商業媒体のほか、noteブログで小説やエッセイ、書評を掲載している。

2024年、旬報社から『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』

刊行。

ライフテーマは「普通とは何か」

 

 

 執筆記事は以下ご参照ください。

※代表的な記事を掲載しています。

 

 

ライターとしての執筆実績

ー書籍

・インタビュー

ポプラ社刊『ジブン未来図鑑』で2022年、片桐仁さんトクマルシューゴさん、2023年、40mPさん等の取材・執筆を担当しました。

 

週刊朝日

・書評

週刊朝日2020.3.20号に書評掲載。現在AERA.dotで読めます。

 

週刊女性PRIME主婦と生活社

・ライターページ

www.jprime.jp

・コラム

 

www.jprime.jp

 ・対談記事

www.jprime.jp

 

ダ・ヴィンチWebKADOKAWA

・ライターページ

執筆記事一覧

 

・書評

ddnavi.com

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ddnavi.com

 

他多数

fumufumu news 主婦と生活社

・ライターページ

fumufumunews.jp

・インタビュー

fumufumunews.jp

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fumufumunews.jp

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fumufumunews.jp

・コラム

fumufumunews.jp

好書好日|Good Life With Books朝日新聞社

・ライターページ

・コラム

・イベントレポート

book.asahi.com

・インタビュー記事(漫画家の方中心)

 

book.asahi.com

 

book.asahi.com

 

book.asahi.com

book.asahi.com

他多数

 

 ーReal Sound|リアルサウンド ブック 

・書評  

 

realsound.jp

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ー「次の70年になにを残す?」 70seeds

・ライターページ

www.70seeds.jp

・コラム 

・インタビュー記事

  サイボウズ代表取締役社長 青野慶久さんインタビュー

 

ーーーーー熊本県合志市・ROBOT取材(3回連載)ーーーーーーーー

 


 

 


 

 ー フラスコ飯店

・映画評

 

ー理系就活メディア LabBase

・インタビュー記事

  

ー未来をともに育むメディア UMU

・インタビュー記事


ーおもしろ系メディア CRAZY STUDY

・座談会

仕事依頼について(料金など)

 

TwitterのDMもしくはrio.wakabayashi429☆gmail.com(☆は@に)までご連絡ください。

メールのほうが返信は早いです。

一週間待っても返信がない場合、再度お問合せください。

 

書籍出版と刊行記念イベントのお知らせ

いつもこのブログを読んでくださる、大切な読者の方へ。

Xとの親和性の高いnoteを中心に更新していましたが、このブログは、私にとって特別なものです。

書評を書き、執筆実績を示して、皆さまに知ってもらう。

noteとどのように分けていくかは今後の課題ですが、まずは大切なお知らせです。

 

旬報社より、初めての商業出版となる書籍が出ました。

www.junposha.com

 

単著を出すことは、私の夢のひとつであり、次の夢に辿り着くために必要なことでした。

出版社の編集さんに声をかけていただいてから今まで、一年近い月日を、『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』にかけてきました。

 

本書にはさまざまな背景を持つ6人の女性へのインタビュー、産まない人生を歩むと思いながら2児の母となった文筆家の石田月美さんへの取材、そして作家の佐々木ののかさんと「産む」「産まない」「産めない」について対談で語り合いました。

 

書店さんによっては入荷のないところもございますので、お取り寄せ、もしくはインターネット書店でご購入いただけると嬉しいです。

 

また、3月8日(金)19:30からは、下北沢の本屋B&Bで、作家のヘフェリン・サンドラさんと吉田潮さんをお招きして刊行記念イベントを開催します。

来店参加、配信参加(見逃し配信1カ月)もあり、私にとってほぼ初めてのイベントです。

こちらの来店や配信でも、書籍購入ができるそうです。

 

交流会も予定されているとのこと。ぜひこの機会に、ブログを読んでいただいている皆様とお会いできると嬉しいです。

 

bookandbeer.com

 

夢への第一歩、皆さんと共に進んでいただけますように。

仕事依頼に関するお知らせ

以下に関しましては、通常の場合です。

例外的に仕事をお引き受けすることもありますので、まずは以下までお問合せください。

rio.wakabayashi429☆gmail.com(☆→@)

 

執筆実績はこちらに記載しております。

lalecture.hatenablog.com

 

主にインタビュー記事や書評、エッセイ執筆のご依頼を受け付けております。

拠点は大阪ですが、首都圏に関しては交通費・滞在費なしで承ります。

取材に関しては対面インタビュー、オンラインインタビュー、場合によってはミラーレスカメラによる写真撮影も可能です。

 

また、2023年からは年に3か月ほどシンガポールに滞在します。

詳細は下部の項目をご確認ください。

 

今回こうして依頼を検討いただいている方に向けて記事を書かせていただいたのは、今まで以上にいろいろな場所で仕事ができればと考えているためです。

ご依頼の方はこちらをご覧になったうえで、お願いいたします。

 

 

注意事項

※当然のことながら、参照する書籍、打ち合わせ・取材などの場所として使うカフェなど、記事作成にかかる費用は経費として考えております。

ご了承いただける方のみ、読み進めていただけると幸いです。

 

 

☆すべて3000字程度を基本とした料金です。字数が異なる場合はお問合せください。

☆基本料金には取材交渉も含まれております。ご希望の方はおっしゃってください。

☆ミラーレスカメラでの写真撮影は+5千円で承りますが、プロのようなスキルをお求めの方はご遠慮ください。

 

インタビュー記事(3000字程度)

基本料金

関西 3万円~

オンライン 3万円~

東京 4万円~

※現在、作家・漫画家・タレント・日本語教育分野のインタビューを中心にご依頼いただくことが多く、今後専門性を高めていきたいため、基本価格は上記の方々を取材する場合の料金だと考えていただければと存じます。

ー企業取材

関西 4万円~

オンライン 3万5千円~

東京 5万円~

※業種により変動します。

ー専門知識が必要な方への取材

関西 5万円~

オンライン 5万円~

東京 6万円~

※専門知識の内容(IT、医療、理系分野など)と事前に把握しておくべき内容の多さによって変動します。一度お問合せください。

ーその他の方への取材

※ケースバイケースで変動します。一度お問合せください。

宗教・政治思想・スピリチュアルに関する取材は受けておりません。あらかじめご了承ください。

書評

書籍の内容や文字数によって変動します。お問い合わせください。

こちらも宗教・政治思想・スピリチュアルに関する書籍の書評は受けておりません。あらかじめご了承ください。

エッセイ

力を入れていきたい分野であるため、単発の場合は1万円~、月1回か不定期で連載の場合は8千円~、月3回以上連載させていただける場合は5千円~受け付けております。

※3,000字程度が目安です。自分や興味のあるテーマでの連載の場合です。単発の場合や内容によって変動します。

まずは内容をお聞かせください。

ブックライティング

ブックライティングをした書籍が4刷となった経験がございます。

書籍名について聞きたい方はお問合せください。

※納期、取材回数、ページ数、著者様の業種によって大きく変動します。

 

関西・首都圏以外での日本国内の業務について

取材の場合は別途交通費・滞在費のほか、出張費(中部地方四国地方、首都圏以外の関東地方の場合は+3万円、沖縄・北海道の場合は+5万円、その他の地方は+4万円)をお願いいたします。

エッセイ・書評の場合は交通費・滞在費と上記の原稿料にて承ります。

用件によって変動する可能性もありますので、まずはご相談ください。

 

ライター以外の仕事(すべて経験がございます)

ーナレーター

展示会、イベントにて経験がございます。

内容や所要時間によって変動しますのでお問合せください。

ーオンライン秘書

英語対応は不可です。

秘書検定1級、秘書経験3年ございます。

業務の範囲や所要時間、継続案件かどうかによって変動しますので、お問合せください。

ーイベント登壇

内容によって変動します。

まずは内容を明記のうえお問合せください。

ーキャリア相談(30分)

ライター、日本語教師など上記の仕事に関する相談を30分3000円~受け付けております。

ーアンソロジー寄稿

評論、エッセイ、一次創作の小説に限ります。

内容によってはお引き受けできない可能性もあるので、お問合せください。

ー若林へのインタビュー依頼

基本的に無料ですが、内容によってはお引き受けできない可能性もありますので、お問合せください。

問い合わせ

rio.wakabayashi429☆gmail.com(☆は@に)までご連絡ください。

メールのほうが返信は早いです。

一週間待っても返信がない場合、再度お問合せください。

 

2023年3月時点の料金であり、今後変動する可能性がございます。あらかじめご了承ください。