文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

作家としていただいたお仕事

 

2024年2月末

初の商業出版の書籍が刊行!

 

内容

タイトルは『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』

電子書籍(Kindle)もあります。

 

 

産む女性、産まない女性、産めない女性、そして男性。

すべての人がお互いの立場を認め合い、自由な生き方ができる世の中になるよう願いながら、産まない選択をしている当事者である私のエッセイ、6人の女性へのエッセイ、作家の佐々木ののかさんとの対談を収録しています。

 

インターネット、書店(3月時点で取り寄せ可能)で販売中。

大切に書いた書籍です。

 

「普通」とはなんだろう?

この思いを軸に、これからも書籍を発表したいと考えています。

 

lalecture.hatenablog.com

 

 

 

 

自著『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド

 

〇テレビ出演

堀潤のモーニングFLAG

 

〇抜粋/試し読み

book.asahi.com

文春オンライン(抜粋/試し読み)

bunshun.jp

bunshun.jp

 

                                                             現在進行形です!

                 続報お待ちください♪

 

〇イベント登壇

2024.3.8

吉田潮さん×ヘフェリン・サンドラさん・若林理央
トークイベント)

本屋B&B

「私たちは、こうして”チャイルド・フリーになった」

 

WebメディアUMUによるコラム形式のイベントレポート

umumedia.jp

 

umumedia.jp

 

2024.4.6

小川たまかさん(トークイベント)「産まないを紐解く」

梅田ラテラルにて開催

 

2024.5.25

むぬフェスセッション「親にはなれないかもしれない]

munufes.outenin.com

慶典院にて開催

 

2024.9.14

 

【著者講演会】母にはなれないかもしれない~「産まない・産めない・産みたくない」から考えるジェンダーと生きづらさ

和泉市人権文化センターにて開催

 

大阪府立高校教諭対象のイベントにも登壇予定                
 

〇書評

ダ・ヴィンチWeb(書評)

ddnavi.com

 

〇書評

AM(書評)

am-our.com

 

 

〇インタビュー・対談

70seeds(インタビュー)

www.70seeds.jp

ニソクノワラジ(インタビュー)

2soku-warazi.com

FLOW(対談)

www.flow-japan.com

 

telling,(対談)

telling.asahi.com

                                                              

 

問い合わせ

rio.wakabayashi429(a)gmail.com

(a)→@

 

ライターとしてのポートフォリオ

フリーライターとして

 

作家の活動はこちらから!

lalecture.hatenablog.com

 

2013年~雑誌・出版社のWeb媒体などで取材や執筆をしています。

以下は2022年以降に公開・掲載された記事です。

 

 

 

やってきたこと

 

企画から取材交渉、インタビュー、執筆まで担当

漫画家(高橋留美子さんよしながふみさん東村アキコさん安野モヨコさん押見修造さんなど)

小説家(村田沙耶香さんなど)

 

インタビュー、執筆を担当

芸能人

片桐仁さん、トクマルシューゴさん(ポプラ社『ジブン未来図鑑』2022年4月刊行)

・海宝直人さん(白泉社『MOE』2023年1月号 アーティストインタビュー)

・キュウさん

・マユリカさん

・カベポスターさん

漫画家

よしながふみさん白泉社『月刊MOE』2023年1月号)

ヤマザキマリさん(白泉社『月刊MOE』2023年5月号)

東村アキコさん

鳥飼茜さん

漫画家×脚本家対談企画

よしながふみさん×森下佳子さん(白泉社『メロディ』2023年2月号)

 

他に在留外国人や企業取材の経験も豊富です。

 

また、社会で未だ注目されていない事象をテーマにしたエッセイを商業媒体に寄稿しています。

例:

幼少期の精神疾患

巻き込まれた刑事事件

いじめ被害者としての思い

あえて子どもを持たない選択をすること

最近では「当たり前が特別なことになる瞬間」などをテーマとした日常のエッセイも執筆しています。

これまでの執筆媒体

紙媒体 

MOE(白泉社

メロディ(白泉社 ※対談企画)

ジブン未来図鑑ポプラ社

週刊SPA!(扶桑社)

週刊朝日朝日新聞社) 他

 

WEB媒体 

週刊女性PRIME(主婦と生活社

fumu fumu news (主婦と生活社

好書好日(朝日新聞社

ダ・ヴィンチニュース(KADOKAWA

Real sound book

70seeds

AM 他

 

ブックライティングの経験もあります。 

 

経歴

神戸女学院大学文学部卒業。

アイドル、モデル、企業での役員秘書などを経て、2013年からフリーライターとして執筆活動を開始した。兼業で日本語教師とナレーターをしている(日本語教師は2019年9月より休職中)。

商業媒体のほか、noteブログで小説やエッセイ、書評を掲載している。

2024年、旬報社から『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』

刊行。

ライフテーマは「普通とは何か」

 

 執筆記事は以下ご参照ください。

※2022年以降の記事を掲載しています。

 

 

ライターとしての執筆実績

書籍

ポプラ社刊『ジブン未来図鑑』で2022年、片桐仁さんトクマルシューゴさん、2023年、40mPさん等の取材・執筆を担当しました。

 

週刊朝日

週刊女性PRIME主婦と生活社

www.jprime.jp

ダ・ヴィンチWebKADOKAWA

執筆記事一覧

fumufumu news 主婦と生活社

fumufumunews.jp

 

好書好日|Good Life With Books朝日新聞社

ー「次の70年になにを残す?」 70seeds

www.70seeds.jp

ーおもしろ系メディア CRAZY STUDY


仕事依頼について

 

TwitterのDMもしくはrio.wakabayashi429☆gmail.com(☆は@に)までご連絡ください。

メールのほうが返信は早いです。

一週間待っても返信がない場合、再度お問合せください。

 

人生が、変わる

ブログにもエアリプってつくものなんだ。

人生の役に立たない学びを得た。

このブログは仕事で書いているわけではなく、商業性は皆無なので、基本的にエアリプは気にしない。

私は自分にカネの入らないものに対しては、批判も反対意見も気にしないし興味がない。

私の考えがエアリプによって変わることもない。

 

ただブログを見た人のエアリプを、ブログの筆者である私が気づくことに一種の気味の悪さを感じた。

 

話は変わるが、実は一か月ほど前から、私は悠々とブログを書いている場合ではないのだ。

 

ただ焦って動くといいことは何もない。

中学校受験のときも(不登校になった)、遠距離恋愛をしていた当時の婚約者のために上京したときも(相手の浮気で婚約破棄に至った)、1回目の結婚をしたときも(離婚した)、私は焦っていた。

 

そしてすべて失敗した。

焦ると、すべて失敗するのである。

 

せめて1年、待つべきだったと思う。

中学校受験も入試まで1年以内であれば諦めるべきだった。

 

疲れている時も同様である。

 

日本語学校で「新人で週1しか授業はないけどあとの週6(無償)は授業準備をしてね」と言われた時も焦って準備をしたあげく、授業中、学生たちの前で主任に「その教え方はちょっとね~」と叱られた時も、疲れがピークに達して、

 

「来期のシフトは週5希望で出す!!!」

 

と正気とは思えない希望を出してしまった。

 

シフトのまだ決まらない学生の休みの時期、疲れ果てた私は、前の夫の両親と電話でケンカをして、

 

「今からそっち(大阪)行きますから!」

 

と言って、精神科入院となり隔離病棟に2カ月いた。

初めての日本語学校は次の期に入れないならという理由でクビになった。

 

病棟で友達は10人ほどでき、みんな疲れた時に何かして入院させられていた。

 

「あのときはね……疲れてたからむちゃくちゃなことしちゃったよ」

 

と笑い合う。

 

疲れと焦りは脳をおかしくさせるのだろうか。

せめて1年、休む、もしくは休める職場に落ちつけていたなら。

今も後悔している。

人生には取り返しのつかないこともあるからだ。

 

一方、

>>日本語学校で「新人で週1しか授業はないけどあとの週6(無償)は授業準備をしてね」と言われた時も焦って準備をしたあげく、授業中、学生たちの前で主任に「その教え方はちょっとね~」と叱られた

 

私の最初の勤務校である、この日本語学校は今も存在している。元同僚に「新しい学校を探してるんだ~☆」と言われた時は真っ先に「ここはやめとき~♡」と教えている。

日本語教師界隈はどの日本語学校が働きやすいのかどうか、口コミで広がる。

狭い業界なので悪い口コミのあった日本語学校は、いつも求人を出している。

 

日本語教師、なめんなよ。

私、人脈だけはあるからな。

 

さて。

悠々とブログを書いている場合ではないのに、ここまで書いてしまった。

 

ああ、夜がやってくる。一時間前にはもうやってきていたが。

夜は深まる。

 

 

 

小説には書かない部分

登場人物の年表を書いた。

いつ生まれて、いつ亡くなって……はもちろん、存命人物であれば、いつ生まれて、いま何歳なのかまで。

小説にはほとんど出さない情報だろう。

意外性のあることでも。

大正や昭和に亡くなった人物も含むので、関東大震災第二次世界大戦も、時代が重なっていないので小説には出さないが、登場人物のうちのだれかの死因として入れる。

すると悲劇を味わった登場人物はもちろん、取り囲む人たちの輪郭がはっきりする。

「小説には書かないだろう」という登場人物の部分は、年表の概要に長く書いていく。概要には書かない部分から、始まりと終わりのために力を入れる箇所も見えてくる。

 

長さは既に長編文学賞の最低基準を超えた。

プロットどおりにはならないので、そこもいちから見直して不自然な点がないか確認する。

「勢いで最後まで書いて、そこから推敲する」という作家さんの一文が胸に残っている。

私は何度も何度も推敲して、〆切を送らせてしまうのだが、少なくとも下読みさんは見てくれる。

そう思いつつ、完璧主義をやめて、推敲の回数も決めたほうが良いのかもしれない。

 

取材やリサーチもそうだ。

難しい題材を扱って一年かけたので、ついそれをひけらかしたくなる。

ただ読んでいる人の知らない、ニッチな情報は省いたほうがいい。小説の展開に関係のないことなら、なおさらそうだ。

「こんなことまで知ってるんだ!」という驚きは、小説の場合、ほとんどいらない。

 

応募するのはこの文学賞で良いのだろうか。

みな、悩むだろう。

この小説の賞はノンジャンルと書いてあるけど、ミステリーやホラーの賞にしたほうが良いかもかもしれない。

一方でミステリーなど、決まったジャンルに寄せていないなら、読み手に新鮮味を与えることもできるかもしれない。

混乱して、結局どの賞が良いのかわからなくなる。

 

私の長編文学賞を選び方は、単行本化が約束されているかどうかだ。

だから長編の大衆文学の賞にしぼりこんだ。受賞後、いくつも書いて単行本になるのを待つより、精神的にも落ち着く。

もちろん受賞しなければ単行本化も何もないのだけど。

 

私は今書いている小説を愛している。

受賞しなくても、読み手や家族には読んでもらえる。

命尽きた後に「これは……!」と読んでもらえる宮沢賢治のようなケースもある。宮沢賢治は天国で震えるほど喜んでいるだろう。

スピリチュアルではないが、私は死後の世界を信じているので、この世からいなくなった後に自分の小説が読まれるようになるといいな、という気持ちもどこかにある。

最近読んだ小説に、小説家になった人物と、何度か書いて三次選考までいったのに落選して、「小説はもういいよ」とあきらめている人がいた。

 

え?三次選考までいったのに?

 

そもそも何次選考でも変わらない。

不思議だったのだが、文学賞応募で小説を試して、それでも思うような評価を得られなくて、疲れたのだと思う。

彼は小説を書きたいのではなく、小説家になりたいのだろう。

 

小説を書きたい。

 

この気持ちがあれば、きっといつまでも書ける。

 

私は、夜は作家の小説を読んで、朝は小説を書いてから仕事をすると決めていて。

悲しいこと、辛いことがあって、書けない時もある。

ただ、それはそれ。

私はフリーライターでもあるので、小説だけではなく、記事や書籍のネタにもできる。

 

だから理不尽な思いをした時は、「だれのことなのか、わかる人はわかる」という恨みたっぷりの気持ちで、その経験や悔しい気持ちを、表に出したいと思う。

 

SNSでもブログでもnoteでもなく。

自分の書きたいことを、怨みや悲しみを昇華するのだ。

 

この性格の悪さを大切にしたい。

プロとかアマチュアとか、そういうところで競っている人のなかにも入りたくない。

宮沢賢治はアマチュアだったのだ。それなのに、今はみな、崇めている。

 

プロといえば。

少し前だったと思う。

ある大規模な新人文学賞を受賞した若い人が、受賞した翌年亡くなったという報道があり、小説は単行本にならなかった。

誰もがうらやましがる純文学の賞なのに。

若い人だから、これからもたくさん小説を書けたはずなのに。

 

怖かったのは、それが大きな話題にならなかったことだ。

受賞作を読んだ人たちは、亡くなった人を、プロとアマチュア、どちらだと感じたのだろうか。

 

考えていくとどんどん自分でもわからなくなってくるので、このあたりで締めくくる。

 

ただ、たしかなのは。

 

マチュアをばかにするようなプロは、自分がプロだという自信がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キーッ!」と「ぴりり」

ジャンル分けするならミステリーだと思っていたのに。

不自然だと感じていたプロローグとエピローグを書き終えた。今のところ完結までの枚数を数えると、長編文学賞に応募できる分量だ。

そして今、ミステリー小説なのか自分に問いかけている。

 

このあいだ、創作を生業としている方が「読者の前に編集さんが評価してくれる。嬉しい」と言っていて、そのとおりかもしれないと思った。

脳裏をよぎったのは、仕事であり創作活動ではないライターの業務だ。

編集さんはいちばん最初に見てくれて、最終的にGOサインを出してくれる存在なのだ。

 

そしてライターの仕事のかたわら、小説を書いている。受賞しなければ一銭にもならない、小説を。

私がワーキングプアになったのは、小説執筆のせいかもしれない。

そんな理由を見つけつつ、取材に一年かけた。応募したい賞の〆切をいくつか逃したが、私はそれだけの価値を見出している。

 

私は小説家になりたいのではなく、小説を書きたいのだと言い続けている。

憧れの山田詠美さんの言葉でもあるからだ。

 

時々、特にデビューしたばかりの小説家さんの作品を読んで放り投げる。

「どうして私じゃないん。私の小説のほうが何倍も良いのに」

良い?

それを決めるのは、まずは編集さんだ。

そしてその先にいる読者だ。

一年かけたなんて関係ない。

一か月で書いた小説も、たくさん受賞している。

 

芥川賞では、小説そのものより山田詠美さんの講評に期待している。

そこには詠美さんにしか書けない文体がある。そして辛口の批評もぴりぴりとしびれて心地よい。

宮本輝さんが芥川賞選考委員をやめたとたん、この「ぴりり」担当は詠美さんになったように思う。

直木賞はエンタメなので面白さ第一だ。

でも芥川賞は純文学、発表までわからないこともある。

わからないから、私は詠美さんについていく。詠美さんの好きな小説は、遅かれ早かれ私も好きになるのだ。

 

ここまで芥川賞選考委員の詠美さんについて語ったが、私の今書いている小説はエンタメ小説だ。

なぜかと言われると、やはり面白さや斬新さを重視しているからである。

結果をわかりやすく示してくれるから「キーッ!私の小説のほうが魅力的なのに!」と嫉妬心を煽られることもない。

 

「ああ……私よりも面白い小説を書いた人がいたんだなあ」

 

承認欲求に左右されず、受賞者の小説の「面白さ」をまっすぐに見つめる。

それでも「キーッ!」となるのだが。

 

最初に出した商業出版の書籍は、小説ではないが、伝えることの大切さを教えてくれた。

今日、文春オンラインで抜粋記事も出た。

 

bunshun.jp

 

bunshun.jp

 

bunshun.jp

 

今の時点で5位と10位にランクインしている。

以前は好書好日でも抜粋記事が出て、「反響ありましたよ」と編集さんに聞いて「うぇーい」と三矢サイダーをあおった。お酒、飲めないので。

もちろん文春オンラインと抜粋箇所が異なるので、全部読んでみてほしい。

 

book.asahi.com

 

単行本はもちろん、電子書籍でも読めるようになった。

 

しかも、この書籍で書いたり取材したりしたことは、小説執筆でも生かされた。

だからこそ、書き続けたいのかもしれない。

 

「キーッ!」と嫉妬してもこれだけは言い切れる。

 

私の小説はいちばん、面白い。

 

いや、「いちばん」と言い切ると、まだ超えられない好きな小説家がたくさん出てくるのだが。

新人としては最高だと思っている。

 

お披露目をするために文学賞がほしいのだ。

選ばれなくても、私は満足のいく小説を書けた。

その思いは残り続ける。

 

まだ完結もしていないのに、何を言ってるんだか。

 

ミステリーの分野ではないのかもと気づくところまでは書けた。

登場人物との伴奏も、今のところうまくいっている。

 

さて。

プロットも直したし今日は寝よう。

 

 

 

ストッパー

浮かれていたなあ、と思う。

今日は何をもって浮かれていたのだろう。

浮かれていたとはいえ、それなりに人生経験はある。どんなに興味のあることでも、いま動いてはいけないことはわかっている。

 

トレッキングに行きたいし。

短歌の会も参加してみたいし。

読書会も行きたいし。なぜか大阪のミナミにはないけど。

コーラスもしたいし。

 

でも、いま動いてはいけない。

そのストッパーがかけられる。そのぶんけ、私は大人になれたのかもしれない。

文学フリマ大阪の出店者〆切だけ近づいているので、それだけはなんとかしたいと思うのだが、なんだかぼーっとしている。

これも動いてはいけない病のひとつなのかもしれない。

 

そもそも、私はいつ東京で暮らすようになるのだろう。

大阪にいたまま、たまに東京に行く生活はいつまで続くのだろう。

地元である大阪にいたいのか、何もかも便利な東京に戻りたいのか。

それとも。

海外へ行くのか。

うすぼんやりとそんなことを考える。

 

毎朝、書いている小説は想像通りの場所に着地しなそうだ。

私も思いがけない場所に着地しそうだが、20代のころのようにそれを楽しめない。

人間は変化を嫌う動物だそうで、ようやく動物になれたのかもしれない。

 

あ。

日本舞踊もしたいかもしれない。

社交ダンスも。

 

でも、今はしてはいけない。ストッパー。

一瞬気が紛れる。しかし、この一瞬はとても危ういものなのだ。

 

経験が物語るものは強いけど、フットワークの軽さをなくしていく。

私の小説のある登場人物も閉じ込められている。

私がこうだから、そういう設定にしてしまったなら、申し訳ない。

 

でも、かならず着地させるので。

小説執筆だけはストッパーをかけない。

生まれた瞬間、決まる人生 -『光る君へ』倫子さま考察-

倫子さまが苦手だ。演じる黒木華さんは好きなのだけど。

「どうして苦手なのかなあ」と思いつつ『光る君へ』を見ていると、だんだん理由がわかってきた。

ほかの登場人物と比べながらひとつひとつ書いてみたい。

 

 

 

両親に甘やかされて入内しなくても許される

対するは藤原定子

定子は生まれた時から帝の後宮に入る、つまり入内することが決まっていた。両親も入内を前提とした教育を施して、まだ若い定子も当たり前のようにそれを受け入れる。

彼女に婚姻の自由はなく、嫁いだ帝とラブラブになれたから良いものの(現在、兄弟のせいで大変なことになっているが)次の天皇となる皇子を産むことが彼女には義務付けられている。

まだ若い帝に愛されているとはいえ、すぐに皇子を授かれるはずもないのに、死を目前にして焦った父と関白になれなかった兄に「皇子を産め」と繰り返し言われ、傷つけられる。

 

一方、源倫子。

在位期間は短かったが、年齢の釣り合う花山天皇のところに入内しないかと言われた時、入内しても愛されない可能性があることを理由に断っている。

通常、大臣の姫が父の申し出をことわり、入内を拒否するなんてあってはならないことだったのではないだろうか。

その後の時代も、本人の希望しない政略結婚を数々の高貴な女性が強いられているのに、倫子は拒否できたのだ。

父母が倫子を溺愛しているからである。次章で述べるが愛する男の嫡妻になれたのも父の身分が高い、それだけの理由だった。

 

倫子さん、勝利。

ただ夫に運命の相手だとは思われていない。

 

結婚相手、選びたい放題

 

対するはまひろ。

まひろは身分の低い家に生まれ、そのせいで相思相愛の藤原道長の嫡妻になれなかったとされているが、ちょっと待て。道長の兄、道隆の嫡妻も身分が低いのですが。

身分が低すぎて、子供たち(伊周、定子、定子)は「あのような身分の低い母がいてかわいそう……」と書き残され、千年後の今まで伝わっている。

まひろは嫡妻になれたのだ。身分の高い倫子、そして妾妻とは言えどこれまた身分の高い愛子がいなければ。

 

しかも道長のプロポーズを拒否したあと、「妾でもいい!」と思いながらも道長の嫡妻は倫子にと決まった後、妾にならない道を選び、それから十年も苦悩する。

そして結局のところ、偶然会った藤原道綱母の「嫡妻になりなさい」という助言をガン無視して、父と同世代の藤原宣孝の四人目の妻となる。もちろん妾妻である。

ただ宣孝と会話をするまひろはいつも楽しそうで、宣孝も大人の包容力がある。

相性は良さそうだ。

道長のように恋焦がれている夫の妾妻になるより、そのほうがまひろも幸せなのかもしれない。ちなみにドラマでは史実なのに、宣孝のプロポーズのあと「ズンチャカ♪ズンチャ♪」という愉快なBGMがなぜか流れる。

ところが結婚して短期間で宣孝は……。

 

やっぱり妾妻でも長生きした道長の妾妻になったほうが、まひろの家の家計は助かったかもしれない。

 

一方、源倫子。

そもそも現代でも相思相愛のまま離婚することもなく、好きな相手と結ばれるのは難しい。しかし倫子は身分と周囲の目論見によって藤原道長への初恋を叶え、自分に甘々な母も、その結婚を賛成している。相思相愛ではないと気づかずに。

隣で毎日のように会話をして、子どもたちとのあたたかい時間を持ち、邸内から出なくても誰かが何かをしてくれるほどのお金持ちだ。

 

道長道長で、「まひろを愛する」なんて言いながら嫡妻との子を何人も持つ。高貴な男性ゆえ仕方のないことだが、ガイドブックで「倫子とは同志のような愛がある」と書かれ、政略結婚なのに、それなりに大切にされている。

倫子は自分と明子以外にも道長に女がいることを勘づきつつ、嫡妻の余裕を見せて夫に資金援助までしている。

 

この資金援助。まひろの望む世を作るために倫子と結婚すると、まひろとの別れの際に言っていたが、「このことかあ!」と膝をうった。

倫子はどんなに尽くしても、自分は道長の本命ではないと気づくのだろうか。

 

もちろん私は嫡妻(正妻)よ

対するは源明子。

実家にいながら婿をとれる平安時代がうらやましい。

とはいえ左大臣だった父と母はもうこの世におらず、有能なのになぜか自分の家ではボケポジションの兄だけが家族だ。おそらくこの兄にも嫡妻はいて、本当の家はそこにあるのだろう。

 

失脚したとはいえ元は左大臣の娘、入内する道もあったはずだが、彼女も運命のいたずらで道長の妻になる。しかも嫡妻ではなく妾妻だ。

もし倫子が道長と出会う前に結婚していたなら、おそらく明子が道長の嫡妻で、いつも「おかえりなさいませ」と言えるポジションだっただろう。

明子がそれを悔しがるシーンは今まで出てこないが(殿がなかなか来ないとぼやくシーンはあったが)、妾妻であっても嫡妻より愛されれば勝ちだと思っているふしがある。

あなたのいちばんになると道長を押し倒す場面は、なかなか勇ましかった。

ちなみにガイドブックでは道長にとって明子は癒しだと書かれている。

倫子は同志、明子は癒し。

でも心にあるのはまひろ。

おい、道長、いいかげんにしろ。

時が現代なら一夫一妻制だぞ。そうなればまひろとおしどり夫婦になれたのもたしかだが……。

 

一方、源倫子。

「おかえりなさいませ」

この一言で彼女は大勝利である。どんなに明子との間に子を授かっても、夫の家はこの広大な土御門邸しかないとわかっている。

妾妻である明子の子より自分の子が道長の嫡男となり、先に出世していくのもたしかだし、道長は自分と別れられないと自覚している。

倫子はいつも微笑み、嫡妻としての貫禄もじゅうぶん、家のことを取り仕切る女主人としても活躍する。

ただ自分の娘たちがどんどん入内させられることはいやがっているようで、今後、それは道長への感情の変化につながるのだろうか。後の帝をふたりも産んだ長女の彰子との関係性も気になるところだ。

とりあえず今は、まひろと道長の深いつながりを知らず、幸せそうな倫子である。

 

黒木華さんの演技、すごい

最後に称えたいのはこのことだ。

倫子を演じるのが黒木さんだからこそ、倫子は何もかもを手に入れた女のように見えるのに、視聴者から愛されている。

彼女ならではの微笑みは、いつまでも崩れないのだろうか。

それとも……。