文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

本棚の悲喜こもごも

図書館の本棚が好きだ。

 

迷い込んでいるうちに、出会うはずだったのに運命のいたずらで巡り合えなかった本、読みたいと思っているうちに絶版になった本、今は書店に並べられることのない作家の本が必ず見つかる。

 

図書館の本棚と本棚にはさまれながら、生まれ、一生を終えることができたら。

 

そんな空想にふけり、うっとりと本棚を見回しているうちに時間は過ぎていく。

 

「もう数時間経つよ」

 

夫にそう言われてようやく時計を見る。

図書館の本棚に囲まれていると、時の感覚すらなくなってしまう。

 

家に戻り、図書館で借りた本を本棚に並べると、何かを成し遂げたような、英雄のような気分になる。

 

周囲には書店や古書店で買った小説や漫画が、じっと図書館で借りた本をにらむ。

特にまだ私が読み切れていない本は、「お金を出して買われたわけでもないのに、返却期限があるから自分たちより先に読まれるんやろ」と図書館で借りられた本を凄んでいる。

 

ちょっと待ってほしい。

 

私はそんな本たちをなだめる。

 

あなたたちは、長いあいだ私といっしょにいられる。

書店の本棚にある本は、時と共に移りゆく。

新刊や話題作が届くと、古い本は次々に書店の本棚から姿を消すことを知らなかった10代のころから、いっしょにすごしてきた本もある。

 

私の悩み、考えていること、人生の変化を、ずっと見てきた、またはこれからも見ていられるのはあなたたちだ。

 

図書館の本棚にあった本は、すでに絶版になっていたり、書店ではもう置いていなかったりするものが多い。

だから、もう少しやさしく迎え入れてほしい。

 

私に買われた本たちは、一変して同情するように図書館で借りられた本たちを見た。

そうか、きみたちはしょせん短期間しかここにいられない運命なのだ。

ほんとうに本棚の主人に愛されているのは自分たちなのだ。

そんなあわれみの目で、借りられた本を見る。

マウントをとるのすらはばかられるといった様子だった。

 

一カ月後。

本棚に新入りが入ってきた。

 

買われた本たちは、先輩風を吹かせ、

「ここの本棚の主人は、本をやたら買っては、読み終える前に次の本を買う」

「まだ読み終えてもいないのに自分たちを眺めてうっとりとする」

積読するタイプだ。覚悟しておけよ」

と私の本棚に並べられる際の心がまえを新入りに伝える。

 

ある本が、「おい、みんな待て」とほかの本たちにストップをかける。

 

「あの新入り、前に借りられてきた本としてここに並んで、一週間で去っていった奴と同じじゃないか…?」

 

新入りが照れくさそうにする。

主人である私はいつものように本棚をうっとりと見つめる。

 

図書館の本棚で気に入った本。

その中には、書店で取り寄せられたり、インターネットでまだ買えたりするものがあるのだ。

 

本棚の中の長老の本が、「私たちは過去から何も学ばず、主人に騙されていたのだ」と重々しく本棚の奥から存在感を示す。

 

「うちの主人は、気に入った本を借りたあとに調べ、まだ買えるなら買う。そんな人なのだ」

 

私は本棚を眺めたあと、にんまりとした。

 

今週のお題「本棚の中身」