文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

【天竺鼠】何かに気づかされる笑い

特別お題「わたしの推し

 

エンターテイメントに共感性が求められる時代になった。

 

小説や漫画を読んだ読者、映画やドラマ・アニメを見た視聴者がSNSで「登場人物に共感できなかった」と投稿する。

それを目にするたび、「共感しなくても味のある作品」は、わかりづらいのかと思い、わかりやすいものばかりが賛美される風潮に疑問を感じる。

 

天竺鼠というお笑いコンビが生み出す笑いは、共感性を呼ぶものではない。

「何か」に気づかされるものだ。

 

ネタを作るボケ担当の川原さんが意識してそうしているのか、無意識のうちにそうなっているのかはわからないが、天竺鼠の漫才やコントを見て笑った後、私たちは「なぜ自分が笑っているのだろう?」とふと我に返る。

 

そして天竺鼠の笑いは、舞台が終わった後も私たちの心をとらえ続ける。

数日経ち、自分の中からこらえきれずに沸き上がった笑いについて、考えることができるのだ。

 

2021年末から2022年はじめにかけて天竺鼠全国ツアー「やっぱツアーっしょ!!」が開催された。

全3回、開催地は紀伊国屋ホール(新宿)、ルミネtheよしもと(新宿)、よみうりホール(有楽町)だ。

 

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昨年、天竺鼠は恐らく世界初の無観客無配信ライブを開催した。

「次はどうくるのか」

ネタや構成を担当するボケ担当の川原さんが、ラジオで「もう有観客無開催くらいしか満足できない」と言うのを聞きながら、不安と期待でいっぱいになっていた。

 

有観客無開催はファンミーティングと何の違いもないと思うのだが、「天竺鼠のファンミーティング、めっちゃ面白そう。川原さんがしたいならしてほしい」という気持ちになった。

 

この「川原さんがしたいなら」というのがポイントである。

 

「川原さんのしたいこと」=「私たちの楽しいこと」だと置き換えられるようになってしまっている。

 

だが、川原さんは有観客無開催ライブではなく、ぜんぶ東京の全国ツアー催行に踏み切った。

 

「そうきたか」

 

驚きながらも、多くのファンが納得しただろう。

 

私は先行発売で全3回のチケットをとり、「寒いし仕事忙しいししんどいけど、単独ライブ全部終わるまでは生き延びる」と気持ちを奮いたたせた。

 

走り切ったとき、心に宿ったのは、川原さんの「圧倒的センター」感とその川原さんの個性をより強める瀬下さんの「内助の功」とも言うべき能力である。

 

川原さんは決して自らのプライベートを明かさない。必要なときは虚構をまじえ話す。

その神秘性と、自分の仕事以外の顔も時折のぞかせる瀬下さんの対比も天竺鼠の魅力だが、今回のライブでは瀬下さんの娘さんが登場するVTRにそれが現れていたように思った。

 

そして、コントのネタ。

 

天竺鼠のコントは、シュールに分類される。

決してわかりやすいものではない。好き嫌いも分かれる。

だが、一度はまった人にとっては、「自分がなぜ面白いと感じるのか」「このネタのどの部分に、何を感じたのか」考察し始めると、止まらなくなる。

全3回見たのに、オンライン配信(※3回目のみ)まで買ってしまった。

また見たいからだ。

胸が痛くなるほど、笑いたいからだ。

 

「やさしい笑い」や「共感性」という言葉は、時折、漫才師やコント師を縛る。

私は、考察しがいがあり、時に痛みすら感じる笑いに満たされたい。

 

次は天竺鼠の漫才を寄席で見る。

出番前に流れる天竺鼠の出囃子をBGMにしていると、再び胸が高鳴り始めた。