「おかえりなさいませ」
当たり前のように土御門邸、つまりは嫡妻(正妻)倫子のもとへ帰ってくる道長。帰ってこない日は妾妻の明子のもとへ行っているはずだ。史実の道長なら、もっと通っている女はいるはず。
しかし道長が婿入りしたのは土御門邸であり、日常的に「おかえりなさい」と出迎えるのは嫡妻(正妻)の倫子にしか許されていない。しかも大石静さんによると「まひろか、まひろ以外か」の道長はわざわざ外に新しい女を見つけに行くのもおっくうだろう。結果的に倫子のもとへ帰る日々が圧倒的に多く、「あ、バランスとらなきゃ」と時々明子の屋敷に行く毎日なのではないだろうか。
兼家の亡き嫡妻は道長の母、つまり彼は母のもとへ帰る父が当然だとすりこまれている。
まひろも身分は違えど母は父の嫡妻だ。
以前はふたりとも若さゆえの熱情から「まひろを妾妻に」「妾妻でもいい」という流れになりそうだったが、道長の異母兄であり父の妾妻の息子である道綱の苦労を実際に味わっていない。
父は、自分の家に帰ってくるもの。
そう思っているから、父が他の女のもとにいる日、幼き日のまひろはなぜなのか母に尋ねる。
前述した兼家の妾妻の子・道綱は父である兼家の二番目の息子だ。
しかし、次男と呼ばれるのは兼家の嫡妻が二番目に産んだ道兼であり、兼家が出世しても兼家の嫡妻の息子3人のように厚遇されない。
※道兼は汚れ役をさせられているが。
その嫡妻がもう亡くなっていても、道綱の母は嫡妻にはなれない。
だからこそ道綱の母は、息子を兼家と嫡妻とのあいだに生まれた三兄弟のように扱ってほしいと会うたびに懇願する。
兼家の後継争いも妾妻の息子である道綱は無縁なのだ。
妾妻のもとで育った道綱は出世欲がなく無邪気に見えるが、だれよりも母のつらさを理解しているので、そう振る舞っているだけかもしれない。
妾妻を亡くした後、もうほかに養える女もいないであろうまひろの父の為時は、死んだ嫡妻のいた自分の家で暮らしていて、毎日のようにまひろと会話をする。
母の死からずっと、為時とまひろには確執があったが、まひろはもう子供ではない。誠実で真面目な父を尊敬するようになり、父が官職に就けないとなると「(兼家様は)あなたのお会いできるような人ではございません」という倫子の助言をガン無視して、兼家のもとへ直談判しに行くような、父のために勇気を振り絞れる女性になった。
第13話でまひろは「父は人の死を喜ぶような人ではありません」と毅然と言い放ち、今度は家を盛り立てるため女房になろうと、文も送らず貴族の家に直接行って就活をする。
誰とも結婚しないと決めたなら、それしかないと覚悟を決めたのだ。
そこには父への深い愛情と尊敬がある。
とはいえ。
まひろが為時の嫡妻の子でなければ、ここまでできただろうか。
嫡妻の子に遠慮をしてしまったのではないだろうか。
まひろの親友のさわは、自由に出歩く。
父が前妻の娘であるさわに対して無関心だからだ。
前妻と言っても、恐らくさわは妾妻の子だ。しかも両親はもう別れていて、父は今の妻の子供たちばかりを可愛がる。
母と離れて育てられ、父にもかまってもらえないさわは、夜もまひろの家で酒を酌み交わすこともできるし、いっしょに買い物もできる。気まずい思いをする家にいるより、まひろといっしょにいるほうが楽しいのだろう。
まひろより豊かに見えるとはいえ、このふたり、どちらが幸せかわからない。
第13話でもまひろには悲しいことがあった。
道長の嫡妻である倫子にやさしくされたあげく、道長と倫子のあいだに生まれた彰子まで見せられたのだ。
「殿にもいつか会ってね」
そう言って微笑む倫子の余裕。
女房になることすら数々の家から拒まれているまひろを「女房に」と助けようとしたのも、100%善意からである。
しかし私はそこに、自分とまひろの身分差を当然だと思い、身分の低いまひろと身分の高い自分の夫の関係を一切疑わない、倫子の残酷な一面を見た。
倫子は左大臣家の娘で父が職を失うなど夢にも思わない。
身分の高いことを自覚していて、恋した道長を自分の夫にして、自分は道長の嫡妻でいることに幸福を感じている。
まひろが妾妻になっていれば、どうだっただろうか。
道長はまひろのもとに通いつめて倫子を苦しめることになったかもしれない。
一方でまひろは、事あるごとに道長の家は別にあり嫡妻は倫子であると思い知らされ、しかももうひとり、明子という自分より身分の高い妾妻がいることにも悩まされただろう。
若い日の熱情に流されることなく、結ばれない運命だと自分に言い聞かせたからこそ、まひろは道長にとって永遠になったのだが、まひろも倫子もそうとは知らない。だからまひろは、道長が土御門邸で自分の送った文を大切にしまっていたと知って驚くのだ。
賢い倫子ではあるが、その文が身分の低いまひろからのものだとは夢にも思わず、道長のもうひとりの妻の明子からなのではと推察する。
倫子の幸福に、一点の陰りを見せる文である。
こうなると倫子とまひろの会話は、地獄のようなやりとりである。
もはやまひろは、以前のように倫子と純粋な友情を育むことはできないと思い知っただろう。
場面は前後するが、仕事中も道長はまひろとの約束を、ずっと覚えている。
まひろの望む世を作ろうと、兄の道隆に意見する場面は見逃せない。
悲恋を描きながらも『光る君へ』では花のつぼみのような恋も新しく生まれる。
道長の兄道隆の娘、つまり道長にとっては姪の定子が、まだ幼い元服したばかりの一条天皇と結婚、つまりは女御(妻のランク。中宮の次に高い)として入内したのだ。
定子は父からいずれ天皇のもとへ入内するべきだと言いつけられ育てられた。赤子のころから定子の運命は決まっていたのだが、彼女に悲壮感はない。
倫子のように入内するより嫡妻になったほうが幸せだとは、考えたこともなさそうだ。
道隆がそう育てたのだろう。
第13話の大きな癒しは、まさかの道隆一家(中関白家)の楽しそうな姿である。
定子の入内をきっかけとして、中藤原家も政争に巻き込まれていくのだが、まだこの一家の闇は見えない。
入内したあとも、定子は年下の幼い夫にやさしく接する。天皇に対してあなたの好きなものは全部好きになると明言して、定子自身もそのことを苦には感じていない様子がうかがえる。
強く明朗な定子に、成長した一条天皇が夢中になるのも時間の問題だろう。
ただ、唯一、定子をひやっとさせたのは、一条天皇の母、栓子である。
彼女は定子の父である道隆の妹で道長の姉だ。
父の兼家を嫌う栓子は、父の言いなりになっている長兄の道隆のことも良く思っていない。しかも一条天皇の父に入内したあと、彼女は夫に疎まれ、一条天皇と定子のようにあたたかな愛を育むことはなかった。
栓子が姑として定子を厳しく見る姿勢も、どんどんと強まっていくのではないだろうか。
兄弟のなかで栓子の唯一のお気に入りは道長である。彼と嫡妻倫子のあいだに生まれた娘彰子の入内も十年以内にあるはずだ。
その時、栓子が定子と彰子のどちらを重宝するだろうか。一目瞭然である。
入内は決して幸せなことではない。
以前、それを左大臣家も実感し、倫子もそう感じたからこそ入内を拒んだ。入内すると嫡妻VS妾妻よりももっと大きな争いが待っている。
道隆の娘である定子も、道長の娘である彰子も、言わずもがな身分が高い。
どちらが女御からランクアップして皇后に等しい地位の中宮になるのか、宮中では話題になり、時代の波にふたりとも流されていくだろう。
しかししばらくは、一条天皇と定子の間にあたたかな愛情が育まれるのを見ていたい。
でないと先週のラストのように、私の心が耐えられない。
まひろファンとして、彼女はどうすれば幸せになれるのか考えてしまう。
道長と倫子とのあいだに生まれた彰子を見てショックを受けるまひろ。
別離を選ばず道長の妾妻になっていても、辛かっただろう。
しかも貴族なのに、父と住む家は、同じ貴族である家庭に「女房は無理でも下女なら(雇える)」と自尊心を砕けさせるほど貧しい。
まひろは倫子の女房にならないかという誘いを、たぶん道長と会うのを恐れて「ほかの家の女房に決まってしまいました」と断った。
実際は決まっていないので、今後は倫子の耳に入らないように就活をしなければならない。すぐ近くに住む貴族である限り、それは不可能である。
まひろの女房としての道も、ひとまず閉ざされたのだ。将来的には貴族の家どころか宮中に仕えることになるのだが。
庶民に文字を教えることに使命を見出すまひろ、
道長の嫡妻として圧倒的な強い立場を見せつける倫子、
入内してまだ子どもの一条天皇と楽しそうに時を過ごす定子、
今は土御門邸で母の倫子に甘えているが、やがて入内して政治の道具となる幼い彰子。
前回から四年経ったという設定だと、ここまで気になる女性キャラが増えるのかと驚くばかりである。
余談だが、女主人のまひろが庶民の子供に文字を教えるのをニコニコして見つめる下男の乙丸も第13話の癒しポイントだった。
彼は道長とは別の角度から、まひろに付き従うことで彼女のことをだれよりも見てきた。だからこそまひろの長所を理解しているのだろう。
道長は、乙丸のようにずっとまひろに付き従うことのできる庶民に生まれていれば、世を変えることはできなくても幸せだったのだろうか。
それはそれで庶民と貴族の身分の差という理由で、まひろと結ばれるのは不可能なのだが。
まひろの言っていたように。
庶民がいて、貴族がいて、その貴族にも位があって。
恋愛結婚など夢のような時代である。
高貴な殿方に嫁ぎたければ、妾妻になるしかない。
倫子は自分の恋を実らせ嫡妻という立場も得たが、道長の矢印がずっとまひろに向かっていることには気づいていない。
道長とまひろの「永遠」は、どのように形になっていくのだろうか。
そして源氏物語とどのようにかかわっていくのだろうか。