文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

まひろはなぜ「妾になる」と言えなかった?ー『光る君へ』第12話考察-

「妻になってくれ」

「北の方にしてくれるってこと?……妾(しょう)になれってこと?」

 

令和を生きる私たちにとって、結婚と妾は結びつかない。しかし平安時代においては、妾も妻のうちのひとりだったようだ。

 

逢瀬を重ね、結びつきを強めていくまひろ(紫式部)と藤原道長

まだ10代のまひろが、道長が遅かれ早かれ正妻(当時の言葉だと嫡妻)を迎えると知りつつも、好きな人に「嫡妻ではない妾になれ」と言われたことを悲しむのは当然だ。

 

とはいえ通い婚である平安時代、嫡妻と妾が直接顔を合わせる機会はほぼなかったのではないだろうか。女房(現在で言うところの女中)を妾にするケースも多かったらしく、そうであれば妻妾同居という状態になるが。

 

しかし自分と嫡妻が顔を合わせることはないだろう。それもまひろが考えた末に「妾でもいい」と思いをくつがえした理由のひとつだったと私は思うのだが、それはもろくも崩れ去る。

自分と仲の良い左大臣の娘倫子が道長の嫡妻になると決まったのだ。

 

まひろはなぜ道長に「妾になる」と言えなかったのか。

倫子との友情、妾である自分が道長にとって「いちばん」になった時のうしろめたさ、道長が聡明で芯の強い倫子に心変わりする可能性。

いろいろな理由が挙げられるので、ガイドブックを広げると「嫡妻が倫子なら心が耐えられない」とまひろの気持ちは表現されている。

 

源氏物語』で源氏は、葵の上の死後、最愛の紫の上を正妻のように扱った。

 

しかし年月を経て、源氏に、高貴な血筋の女三宮との縁談がくると、正式に女三宮が正妻となり、紫の上の正妻ポジションはもろくも崩れ去る。源氏の正妻にはふさわしくないとされる自分の身分の低さ、女三宮への嫉妬、愛憎にも似た源氏への思い……。

源氏の最愛の妻という立場は変わらなかったが、彼女は再び劣等感に苛まれ、身分の低いほかの妾たちの多くと同様に決して幸福とは言い難い生涯を送った。

紫の上もきっと、まひろのように「心が耐えられない」と感じただろう。

 

紫の上は源氏にさらわれて妻となり、時間をかけて女として源氏を愛するようになる。道長の妾にならない道を選んだまひろと異なる点もあるのだが、まひろはどんなに愛され正妻のように扱われても変わらない妾の懊悩を紫の上に投影した。

まひろは「自分が道長の妾になった場合」のことを考えて、紫の上のキャラクター造形をしたのではないだろうか。

 

そして正妻も正妻で苦労がある。

源氏の最初の正妻である葵の上は、高貴な身分も相まって、当初、源氏に対して冷淡だった。源氏と葵の上は政略結婚によって結ばれた夫婦で、そんな葵の上を源氏も煙たがる。

一方で葵の上は、源氏が次から次へと妾を作り、彼女たちのもとへ通っていることも知っていた。その事実は、当然のことながら、よりふたりの距離を遠くさせる。源氏と葵の上が心を通わせるのは、若くして葵の上が世を去る直前だった。

 

今の時点で『光る君へ』は道長の妻として描かれるのは倫子と明子だけだ。しかし史実では藤原道長には多くの妾がいた。

光源氏と同じように。

 

史実では紫式部(まひろ)には弟のほかに姉がいる。しかしその姉はドラマでは登場しない。

そのため、『光る君へ』に道長が嫡妻の倫子と明子以外の女性と関係するエピソードも出てくるかはわからないが、同じ時代を生きたほかの貴族の男性を見ても、『源氏物語』で多くの妾を持つ光源氏のような高貴な男性は決して少なくなったことがわかる。貧しい貴族であるまひろの父さえも嫡妻であるまひろの母のほかに妾がいた。

 

こういった平安時代の貴族の常識は、現代の私たちから見ると「サイテー」なのだが、平安時代の女性たちは当然のことと捉えざるをえなかった。

そのためか『源氏物語』を読んでいると、作者の紫式部は主人公の光源氏を好意的に描写しているように思える。

 

正妻のほかに妾を何人も持つ源氏。しかし彼は妾たちをもむげにはしない。

末摘花という、ほかの女性たちとは異なる個性を持った女性はその象徴とも言える。

末摘花と関係を持った源氏は、契ってから末摘花が不器量であることを知り幻滅する。この末摘花もこの物語に登場する多くの女性のように、そしてまひろのように、身分の低い貴族の姫君だ。

彼女は夫を持たなければ経済的に困窮する。ここもまひろと共通している。

源氏が幻滅してそのまま見捨てれば、現代で言うところの離婚なのだが、源氏はその後も末摘花が困窮しないよう経済的な援助をする。

 

ここで『光る君へ』の視聴者や『源氏物語』の読者ならわかるかもしれない。

まひろの家は決して裕福ではないが、まひろの父である藤原為時には妾がいる。

その妾は病に伏し死が迫っているのだが、為時は自分自身が官職につけず、貧しいのにもかかわらず最期まで妾を介護をする。

後にまひろ(紫式部)はこの父の妾を末摘花に重ねたのではないだろうか。

通う夫(為時)に見捨てられると孤独死をしたはずのこの女性は、為時のはからい、そしてまひろの行動によって、死ぬ前に前の夫とのあいだに生まれた娘さわにも会えた。

 

このまひろの父が通う妾のエピソードにはふたつの要点がある。

 

見逃しがちだが、さわは為時の娘ではなく、為時の妾の、前の夫の娘である。つまりさわの母親かつ為時の妾には以前も夫がいたのだ。

正妻も妾も立場は違えど妻なのだ。

恐らく夫の通う日が途絶えた時、彼女は妻ではなくなった。戦前は、戸籍に「妾」の項目があったそうだが、戸籍の概念のない平安時代では、夫の通いのない女性は離婚したと見なされたのだろう。

 

その後、どのような経緯を経てかわからないが、彼女は為時の妾となって援助を受ける。そして源氏が末摘花の貧しさを救ったように、この最後の夫は自分を見捨てなかった。

妾と妻の立場は意外と近いのではと思わせるエピソードである。

こうして相手を女として見られなくなっても、一度契ったからには生活を援助する男は、当時の感覚では誠実だったのかもしれない。

 

前者は妾の辛さ、後者は妾にとってのかすかな幸福を表しているが、まひろ自身は父の嫡妻の娘である。

妾でも、こんなに大切にしてもらえる。

聡明なまひろだが、まだ若い。そのように思うようになって、道長と、道長の妾となった自分の将来を彼らに重ねるのも仕方のないことだろう。

何せ愛する道長は位が高く、官職の得られない父を持つまひろは嫡妻になれないのだから。

 

実際のところ、道長の兄たちの妻はそれほど高い地位の娘ではなく、まひろと倫子の身分も二代さかのぼれば近いのだが、道長にとって、まひろの望む世の中を作り上げるためには、出世しなければならない。

そのために左大臣家への婿入りをすれば、道長にとって左大臣は確固たる味方になる。

入内して天皇の女御、いずれは中宮になる可能性もあるほど身分の高い左大臣の娘、倫子を嫡妻とするのは良縁としか言いようがない。

これは道長自身も語っているし、道長の父である兼家も同じように考えている。

 

それでもまひろを愛したい。まひろの身分が低くても「妾」という立場なら、まひろを側において愛せる。

実際にこれは、まひろとずっといっしょにいるための唯一の道である。

 

「妻になってくれ」

 

妾なのに?

最初、まひろは現代の「妾」と同じように捉え、「北の方(嫡妻)ではない」と考えてその申し出を拒否する。

しかしそれを覆そうと思ったのは、父のように妾を生涯大切にする男もいるのだと知ったことが大きいだろう。

 

前提から振り返ってみたい。

身分は違えど道長もまひろも嫡妻の子であり、妾のつらさに無頓着な部分がある。

見知らぬ人の妻になるくらいなら……とまひろは思うが、道長から倫子を嫡妻にする話を聞いた時、紫の上が女三宮の登場で感じたであろう衝撃を受ける。

 

いくら「いちばん」と言われても、妾は妾なのだ。

妾になれば、尊敬し、友情を育んでいる嫡妻の倫子とのあいだに隔たりが生まれる。

それは、まひろと倫子の関係性が潰れるからからという甘いものではない。

どんなに倫子と仲良くしていても、倫子が道長の妾になったまひろを受け入れてくれても、後々道長の正妻になれる倫子と妾にしかなれない自分を比較せずにはいられない。

 

女三宮の登場まで正妻扱いをされてきた紫の上は、多くの妾を持つ源氏に対して、時に怒りをぶつける。

しかし、まひろはそれができない。

道長の嫡妻は、今後もずっと自分の尊敬する倫子だから。

 

涙をこらえるまひろの賢さはここでも活きる。その状況を瞬時に想像できて、パニックになりながらも道長の妾にならないと決めたからだ。

相手を愛すれば愛するほど、砕かれるのも早いだろう。どんなに源氏に愛されても、紫の上が幸せではなかったように。

 

繰り返すが為時の嫡妻の子であるまひろは、妾の辛さを毎日のように目にすることはなかった。だからこそ、父に介護してもらえる妾に夢を見る。

 

史実では藤原道長は、倫子、そして明子とのあいだに複数の子を成すが、道長はまひろの望みを叶えるためなのか、どんどんと自分の子供たち、特に娘を自分の権力の道具にする。

後に一条天皇に入内する彰子もその流れに逆らえない。いずれまひろが彰子に仕えるのも、「まひろの望む世の中にするため」なのだろうか。

 

道長はまひろを想いながらも、他の妻と子供を見守り、まひろのいない場で幸せなひとときを過ごす時もあるだろう。しかしそれは、あくまでも「ひととき」である。

 

『光る君へ』で、倫子は自分の意志を尊重してもらえる左大臣家に生まれ、入内を拒んだ。やがて愛する道長を婿に迎えることに成功したが、道長と倫子のあいだの子どもたちはそうはいかない。

 

成長したふたりの娘の彰子は、一条天皇に入内して道長の兄の娘である定子と同じ、一条天皇中宮(皇后)となる。

皇后がふたりもいることは、当時でも異常事態だ。

 

道長の妾になっていたら、道長の嫡妻の子の運命を目にしたまひろは、それを見てどう感じるだろう。

道長の父である兼家の妾の子、道綱のように、まひろの産んだ子は、嫡妻の子たちより低い位しか得られないかもしれない。大切な子どもを使って頂点に立つ道長に対しての目線も、まひろが妾になるかどうかで変わってくる。

 

「妻になってくれ」

 

身分は異なれど嫡妻の子という意味では共通している道長とまひろ。

ふたりとも道長の異母兄である道綱の母が「蜻蛉日記」に記したような妾の苦しみを味わっていないし、妾であるという理由で苦しむ実母を目にしていない。

だからこそまひろに夢中になった道長はまひろを妾にしようとプロポーズをして、まひろは一時は拒絶しながらもそれを受け入れようと思い直す。

 

しかしふたりとも見えていない。

実際に道長が大きな権力を持つようになった時、自分たちの関係性もまた歪なものになる可能性を。

倫子もまた、正妻として自分の子供たちの未来に想いを馳せることができないほど、道長に夢中になっているのかもしれない。

 

妻にならなかったことで、ソウルメイトというよりも、道長にとってまひろはファム・ファタル(運命の女)になったのではないだろうか。

後にまひろは少女のころから見守ってくれている父親と同世代で、まひろ一家のことを考えてくれる藤原宣孝の妻になる。

実際にまひろは宣孝のことを信頼していて、彼とは身分も釣り合う。

彼女にはいずれ「結婚してくれ」と、道長以外の男からのプロポーズを受ける日がくる。

 

私はさぶまひ強火担なので、最新の第12話での青春期の道長とまひろの別離は非常に辛かった。

一方で道長と倫子の結婚によって「妾でもいい」というまひろの気持ちが砕かれたのは、決して悪いことだったとは思えない。

 

そして、紫式部藤原道長の物語は終わらない。

史実に沿いながらもフィクションを織り交ぜた『光る君へ』を最後まで見届けたい。

 

お題「忘れられない映画やドラマのセリフ」