文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

貴族社会では身分が低くてもー『光る君へ』第14話考察ー

『光る君へ』第14話は、異なる場所で悲しみ悩むまひろ(紫式部)と道長が描かれた。

道長と別れて以来、どこか悲しげなまひろであったが、ようやく自分の「志」を見つける。しかしその「志」はたやすく折られてしまい、自分の甘さをも突きつけられる。

今回はいくつかの出来事をピックアップして振り返ってみたい。

 

 

 

「まひろは身分が低い」は貴族社会に限った話

 

「おれら、あんたらお偉方の慰み者じゃねえ!」

時系列は前後するが、第14話でまひろは文字を教えていた子ども、たねの父に怒鳴られる。貴族より圧倒的多数の民であるたねの家族は、日焼けした顔に土まみれの身体で、一生懸命畑を耕していた。

ごく一部の貴族とはわけが違う。

民はみな、自力で生計を立てるのに必死なのだ。一生使わないであろう文字を子どもが貴族の娘から学んで両親の名前を書いた時、たねの両親は激怒したのも当然である。

 

まひろは父である為時が官職にありつけず、自分より身分の高い数々の貴族の家で「女房の仕事をさせてください」と就活をしても断られている。

そういった経験からだろうか。自分の身分の低さは「貴族社会の中で」という大前提のもとに成り立っていると忘れていたのかもしれない。

圧倒的多数の民にとって、まひろは「お偉方」なのだ。

 

少しでも識字率を上げようとするのは素晴らしいことだが、字を覚えて将来的に何ができるかが重要である。

たねの父親は、うちの子どもは一生畑を耕して暮らす、字なんて必要ないと怒鳴る。

たねは両親と共に畑を耕しながら、隙を見てまひろに文字を教えってもらっていたのだろう。

 

まひろは字の読めなかったせいで子を売られた母親を見たのを機に、民の子たねに字を教え始めたのだが、そこに金銭のやりとりは発生していない。

まひろの父である藤原為時一家は貴族の中では貧しくとも、まひろには、お金をもらわないことをする余裕があるのだ。

 

そんなまひろに対して、民がいら立つのも当然だと言えるだろう。

今は亡き直秀のように、貴族である自分や道長に臆することなく近づける民のほうが珍しかったのだ。

 

まひろのいきいきとした笑顔は再び消える。

貴族の生活は民の努力のうえで成り立っている。

だからこそ、まひろはたねの父親に言い返せず、自分の甘さを痛感したのではないだろうか。

 

道長のことを片時も目をそらさずに見つめると言ったけれど

 

まひろと道長の別れから4年経った。

初めて結ばれた夜、この都で片時も目をそらさず道長を見つめるとまひろは話した。

その言葉を道長はずっと忘れている。まひろと別れて妻がいても、道長は、まひろの望む世を作るため、努力を続けている。

ただ、10代だったまひろの放った「見つめる」とは何だったのだろうかと、第14話は問う必要性を感じた。

 

まひろは知らない。

父兼家の死をだれよりも早く知り、亡きがらを抱きしめる道長を。

文字を教えることができなくなった夜、自分と同じように無力感を抱いて月を見つめる道長を。

それでも、まひろの望む世を作ろうと励む道長を。

 

道長の妾妻になっていれば、道長とまひろは共に苦労を分かち合えたのかもしれない。

ただ、まひろは道長の妾にならなかった。

 

そのうえで、まひろの述べた、道長のことを「ずっと都で見つめている」とは何を意味したのだろう。

父の官職もない今、まひろは、噂でしか道長の動向を知ることができない。

 

序盤、道長の嫡妻(正妻)倫子の待つ土御門邸でまひろと道長はばったり会う。道長「ん」とつぶやいただけで無言でまひろの横を通り過ぎる。

帰りを急ぐまひろの耳には、嬉しそうに娘とともに道長を出迎える嫡妻の倫子の声しか聞こえない。

まひろのことで頭がいっぱいになり、うわの空になってまひろの歩いていた道を眺める道長の姿は、まひろには見えない。

 

4年前、駆け落ちしようという道長の申し出を断り、「都であなたを見つめる」と言ったまひろは、どのようにして道長を見つめ続けるのだろうか。

道長は兼家の亡くなった翌朝、その死を知った。

しかしまひろが兼家の死を知ったのはその3日後、父と仲が良く後にまひろの夫となる藤原宣孝を通してだった。

 

道長の妾妻にならないかというプロポーズを断り、彼の住む土御門邸で女房になることもしなかったまひろ。

 

まひろの「見つめる」の意味は、これからの『光る君へ』で明かされるのだろうか。

 

道長の、ふたりの妻に対する接し方

 

第14話は、結婚後、道長がふたりの妻にどう接しているのかも推察できた。

道長にとっては、そもそもふたりと結婚すること自体、まひろの望む世を作るための手段である。特に倫子は自分の恋を叶えて道長の嫡妻になったが、道長にとっては政略結婚も同然だった。

 

そんな彼の冷淡さは、まひろと遭遇した後、倫子に見せた、まるで目の前に嫡妻がいるのを忘れたような態度で示され、やさしさは、自分の子を流産した妾妻の明子を父の喪中にもかかわらず見舞うシーンで提示された。

 

見方によっては明子にも冷たい。

喪中にもかかわらず明子を見舞う道長は、当時の高貴な男性として例外的な行動だったようだが、明子の様子を見てやさしい言葉をかける。

しかしすぐに「また来る」と言って出て行く。

 

土御門邸で待っていた道長の嫡妻の倫子は、妾妻明子の流産を労わりながらも「またお子もできましょう」「私もきばらねば」と嫡妻の余裕を見せようとするのだが、道長はそんな倫子を横目で冷たく見る。

 

恐らく倫子は、自分は愛されていないのではないかと疑念を抱いている。

しかし自分の産む子は道長の嫡妻の子として扱われ、それは道長が倫子を大切にしているという証明になる。

だからこそ子供を産むことにより、夫婦の結びつきを固くしようとしているのかもしれない。

 

子供を成す。それは妻としての義務であった。

 

一方、ききょう(清少納言)はその義務に縛り付けられたくないと話す。

夫や子供を捨てて宮中で女房として働きたい、自分のために生きたい。

そうまひろに告げて、まひろに強烈な印象を残す。

 

妻として、道長の子の母親として、誰よりも道長を支えようとする倫子や、最初は父の仇の息子として見ていた道長に惹かれていく明子。

 

道長の妻たちと、ききょうの夢は正反対だ。

自分の使命を見出したいと願うまひろは、4年前、一度は道長のプロポーズを受け入れようとしたが、今の自分の使命を見出そうとする姿は、道長のふたりの妻よりききょうに近い考え方だ。

 

皮肉なことに史実では、倫子と明子はそれぞれ道長と枕を共にし続けて、それぞれ同じ数の子どもを産んでいる。

 

令和の一夫一妻制で身分差に関係なく結婚できる今の日本なら、道長とまひろは恋愛結婚をしただろう。

平安時代の身分の壁は、まひろというファム・ファタルのいる道長に真の意味で愛されることのない、倫子と明子の人生まで巻き込んでしまった。

 

道長の妻たちに対するやさしさも、どこか夫として振る舞う必要性を感じたうえでの演技に見える。

4年前にまひろから送られた漢文を今も大切にしている道長には、別れてから月日が経っても、ずっと心のなかにいるのはまひろなのだ。

 

兼家の死が兄弟のこころのつながりを断つ

兼家は血のような色をした月を見ながら、誰にも看取られず息だえる。朝になって兼家の遺体に気づいて抱きしめたのは、息子のうち道長だけだった。

 

すぐに宮中で道長の長兄で兼家の跡継ぎに指名された、兼家の嫡男道隆の横暴が始まる。

 

父兼家の思惑で、跡継ぎとして真っ白な道を歩いてきた道隆は、弟の道兼が人を殺したという大きな秘密すら、兼家が暴露するまで知らなかった。

 

道隆にとって自分の弟たちはもう家族ではない。娘や息子の出世を第一に考えた結果、彼は自分の手にした権力で、弟たちを敵にまわしてもおかしくないほどの前例を無視した政治をする。

 

道長にとって、まひろの望む世にするために必要なことは、まずは直秀のような理不尽な死に方をする罪人を減らすことだった。そのために長兄の道隆に直談判をするのだが、道隆は即座に却下して、前例のない要望を命令として受け取ることを強いられる。

 

それでも、今の道長は歯を食いしばってこらえることしかできない。

 

父母に嫡男として大切な育った道隆は、父の生前、弟の道兼にやさしい言葉をかけていたことからもわかるように、あたたかい人柄の長兄のはずだった。

ところが、権力者であった父の兼家が亡くなった後は、父に最後まで傷つけられて参内しなくなった弟の道兼に対して何もフォローをしていないようだ。

 

兄弟の帰る家も今はそれぞれほかの場所にある。

兼家の嫡妻が産んだ三兄弟ではあるが、道隆は今の家族を大切にするあまり、他人になったも同然だった。

 

道隆、道兼、道長は、同じ父母を持つ兄弟でありながら、出世すればするほど他人のようになり、下級貴族であるまひろとその弟のような、あたたかいきょうだい愛はもはや育めないだろう。

そしてそこに、まひろの母を殺した道兼の因果応報も入り混じる。

 

戦国時代から江戸時代までの武家を見てもわかるとおり、身分が高ければ高いほど、兄弟は政権争いをする存在になる。

そこに兄へ、もしくは弟への情愛は感じられない。

平安時代の政治の中枢にいる高貴な兄弟も、同じだったようだ。

 

いちばん下の弟である道長に無茶な命令をくだす姿だけを見ると、道隆と道長が兄弟であることも忘れてしまいそうである。

長男の道隆に真っ白な道を歩ませた、父の兼家は、自分の死後、跡を継いだ道隆が父を超えたとも言える横暴な政治をすることを見抜いていたのだろうか。

 

「生きていれば悔やむことばかり」

和歌の会でききょう(清少納言)に嘆くまひろ。吸いも甘いもかみ分けたような、20歳前後という年齢に見合わない発言だ。

彼女の複数の後悔は何を指すのだろう。

 

幼い道長(三郎)に会いたくて走ってしまい、そのせいで落馬した道兼に母を殺されたこと。

父為時が藤原兼家の命令に従い続けることをやめた時、父のやさしさを喜びをもって受け入れ、宣孝や弟の乳母であるいとのように父の未来を見据えて「今からでも撤回するように」と勧めなかったこと。

道長の妾妻にならなかったことも、含まれているかもしれない。

 

一方でまひろの恵まれている点は、父がやさしいことだ。

まひろが女房になろうと就活をすることも、それを突然辞めたことも、庶民の子に文字を無料で教えていることも咎めない。

ただまひろの結婚に関することのみ不安な気持ちを口にするが、まひろに無理強いをすることはない。

当時の貴族ならこういった父親も珍しく、それだけで満足する娘もいるはずだが、まひろは女であることに甘んじず、使命を見つけてそれを遂げたいと強く願っている。

 

次に道長とまひろが次に言葉を交わすのはいつか

 

来週、まひろは、第14話で亡くなった兼家の妾妻であり、蜻蛉日記の作者である藤原道綱母に偶然会うようだ。

どうか彼女の経験談によって、「妾妻にならなくてよかった」とまひろに思わせてほしい。そうすればまひろの後悔はひとつ消える。

とはいえ同時進行で、嫡妻になっても愛されない倫子の、表には出さない焦燥感も描かれているのだが。

 

内裏では道隆が嫡男の伊周をスピード出世させ、入内させた娘の定子を皇后と同等の中宮に押し上げて、権力を意のままにしている。

道長の無力感を煽るような展開である。

 

道長もまた、まひろにしか見せない表情を失い、まひろの望む世も作れず、父兼家のように横暴になった長兄を諫めることができずに苦しんでいる。

 

まひろと道長の笑顔を見たい。

いっしょにいる姿を見たい。

痛切にそう思った視聴者も多かったのではないだろうか。

 

藤壺であり、空蝉であり、紫の上でもあるまひろ

 

リアルタイムで私は『源氏物語』を再び読んでいる。

光源氏のモデルが道長であることに間違いはないだろう。

 

幼いころからの縁もあり、源氏にとってのファム・ファタルであり、惹かれ合うのを止められずに過ちをおかす藤壺。しかし彼女は身分が高く、それはまひろと異なる。

 

貴族社会では貧しい夫を持ちながら、道長に愛されて、「もし結婚する前に道長と会えていたら」と思いながらも、道長の訪れがあっても二度と関係を結ぼうとしない、我慢強い空蝉。ただ『源氏物語』に登場する多くの女性たちの中で、まひろのように、もっとも源氏にとって特別な存在だったかというと疑問が残る。

 

少女時代から源氏の好む女性になるよう育てられて、源氏に寵愛され、源氏の嫡妻が不在の時は、嫡妻のように振る舞う紫の上。彼女とまひろの共通点は、源氏に寵愛されたことだけだ。まひろとは異なるが「男にとって一番の女になっても、幸福にはなれない」という点では、「どのような立場になっても苦しい」というような和歌を詠んだまひろと重なる点は多い。

 

やがて、道長となまひろの運命は必ずまた交わる。

まひろが、道長と倫子の娘であり、後に一条天皇に入内する彰子に仕えるまでの過程も視聴者の楽しみにしていることなのではないだろうか。

 

ききょうは定子に愛をもって仕えたようだが、まひろにとっての彰子はどのような存在になるのだろう。

 

そしてまひろの「道長を見つめ続ける」という言葉は、どのような意味を持つのか。

 

伏線は必ず敷かれている。

第15話以降も考察を続けたい。