【執筆/2020年1月4日】
1月15日、第162回芥川賞受賞作が発表される。
私は無類の純文学好きなので、受賞作発表前に、初めて候補作全作を読むという試みをした。
芥川賞は賞レースだが、日本の出版業界の命運をにぎる純文学作家が見つかるかも知れない。期待しつつ読了し、書評をしたためた。
まず、現在(2020年1月時点)の芥川賞の概要は下記のとおりである。
#芥川賞 書評に向けて、芥川賞について振り返ってみる。
— 若林理央/ライター (@momojaponaise) 2020年1月1日
新人の純文学作家の小説が対象だが、どこまでを新人とするかや、大衆小説の賞である直木賞との境界線などはあいまい。文藝春秋社員が下読みし、最終候補は作家の意向を確認したうえで選ばれる。商業的な側面は設立者が「ある」と認めている。
選考委員が実績のあるベテラン作家であることから、時代の流れに沿った小説が選ばれるかという懸念の声や、審査員の任期を決めるべきではという提案もあがっている。今回の選考委員は、小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、堀江敏幸、松浦寿輝、宮本輝、山田詠美、吉田修一。
— 若林理央/ライター (@momojaponaise) 2020年1月1日
(作者名の五十音順、敬称略)
木村友祐『幼な子の聖戦』(すばる11月号収録)
あらすじ
青森県の村。40代の冴えない主人公「おれ」は、村議をしている。時折会っていた人妻との関係に足をすくわれ、村の選挙戦に裏から関わることになる。
著者(木村友祐)について
1970年生まれ。2009年、『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞し、デビュー。その後、三島由紀夫賞、野間新人文学賞などで著書が候補作となるも、受賞には至らなかった。
2019年、第161回芥川賞候補となった古市憲寿『百の夜は跳ねて』で、参考文献として木村の著作『天空の絵描きたち』の名前があげられた。この件は物議をかもしたが、木村の小説が選考委員たちに読まれるきっかけになったとも言える。山田詠美は「(他の芥川賞)候補作よりはるかにおもしろい」と高く評価した。
木村友祐自身の著作が芥川賞候補に選ばれるのは、今回が初めてである。
大衆小説としても純文学としても読める
直木賞のほうがふさわしいのではないか、と第一印象では思い、序盤は「どこかで読んだことがある作風だ」と感じた。筆者の個性が発揮されるのは中盤以降だ。主人公の内面世界が、これでもかとえぐられる。
選挙に対する年配の人たちの意識や小さな村の閉塞感を表しているため、小説の時代設定は少し昔なのかと思っていた。これは誤解だった。「ツイッター」や「マウンティング」などの現代語が急に登場し、「勃起力」という新語まで出てくる。
「幼な子のような無垢な心」「ペテンの意味ばっかの世界に、おらがとどめば刺してけらぁ」「伝説を作るのは、おれだ」
主人公は、アウトロー小説のような勇敢な言葉を心の中で放つ。並行して、筆者は客観的に、主人公の「しょうもなさ」を描く。
主人公の主観と周囲の状況とのズレ。その対比は非常にわかりやすく、筆者の意図したとおりに読者に伝わるだろう。
小説の中で、突然登場するのが、福島から来たと思わしき少女だ。少女の視線は、いつしか読者の視線になる。冷静に内容をたどっていたはずが、いつしか主人公の行動に驚きを隠せなくなるのだ。
ラストはよけいな部分をすべて排除し、無駄がない。
筆者は、主人公の内面を軸としつつも、日本の社会問題を意識している。選挙の公平性はもとより、外国人妻が税金を払っているのに選挙権がない点などにもあえて言及している。メッセージ性の強い小説でもあるのだ。
芥川賞候補作として
他の芥川賞候補作が、品良く、あくまで純文学の領域にとどまっている中、異彩を放っていた。『幼な子の聖戦』が暴力的とすら言える力強さで、読者を主人公の内面に引きずり込んだ点は、選考委員たちから高い評価を受けるのではないかと予想している。
高尾長良『音に聞く』(文藝春秋)
あらすじ
天才的な音楽の才能を持つ妹と、妹との才能の差を自覚している姉。姉妹がウィーンを訪れ、音楽理論を専門とする父と久しぶりに会ったことにより、不思議な愛憎劇が幕を開ける。
著者(高尾長良)について
1992年生まれ。2012年、『肉骨茶』で、史上最年少の新潮新人賞受賞者となる。2017年、京都大学医学部を卒業し、医師としての顔も持つようになった。
これまでに二度、著作が芥川賞候補作に選ばれている。ただ、選考委員からの評価は高いとは言えず、特に宮本輝は、2012年に「小説の序章を読んでいる感じ」、2014年に「人名にルビをつけないといけないものは小説と呼べない」と高尾の著作を酷評した。
2017年度の京都市芸術文化特別奨励者でもある。
18世紀小説を昔の作家が翻訳している印象
具体的に言うと、ヨーロッパの数百年前の小説を、戦前の作家が日本語に翻訳しているようだった。
登場人物たちも、ヨーロッパの貴族の言葉を日本語訳したような話し方をする。そもそも、この小説の中での会話はすべてドイツ語なのだろうか、それとも日本語のときもあるのだろうか。最後まではっきりしない。
現代人がふだん目にしない漢字を多用し、意味がすぐに理解できない言葉を頻出する。舞台がウィーンだからか、あえてドイツ語を書き、()内で日本語の意味を説明するのも現代小説では珍しいだろう。他の作家が持ちえない耽美的な作風の持ち主であることは確かだが、読み手を苦しませる小説だ。
高尾の著作は、もともと純文学を読みなれている読者からも「難しい。高尚すぎる」という感想が多い。それでも作風を変えないのは、芯があるからだとも言えるが、発表する時代を間違えているように思えてならなかった。
芥川賞候補作として
本人の問題ではないが、「若き才媛」「二十代女性作家」など、目にする紹介文が全て古めかしい。2003年、綿矢りさや金原ひとみが芥川賞を受賞したときのことを思い出した。
同じような話題性を狙っているのなら、受賞もありうるけれども、読者の純文学離れを加速化させる危険性をはらんでいる小説だ。選考委員(特に宮本輝、山田詠美あたり)は厳しく評価するのではないだろうか。
千葉雅也『デッドライン』(新潮社)
あらすじ
修士論文の締め切り(デッドライン)が迫る主人公。大学院で学びながらも、父親の事業の失敗や、自らのセクシャルと向き合い、日々を送る。
著者(千葉雅也)について
1978年生まれ。立命館大学大学院の先端総合学術研究科准教授。専門は哲学と表彰文化論。既刊の書籍は多々あるが、小説は本作がデビュー作となる。
序盤とラストは必要だったのだろうか
淡々とした文体は持ち味なのだろう。ただ、ひとつひとつの場面が短いので、早送りしてドラマを見ているような感覚になった。
主人公の状況を読者が把握する前に、物語が進んでいく。主人公の過剰な自意識に圧倒され、彼をどんな人物として認識すればいいのかわからなくなる箇所もあった。
唐突に入る大学院での講義内容は、筆者本人の実体験から得たものだろう。名言がたくさん出てくる。物語に立体感を出したいという狙いも感じられ、この作品が哲学書やビジネス書なら興味深い。
しかし、小説としてはどうか。講義内容に、いくつか伏線のようなものが出てきた。それを回収しきれないまま、終わってしまった感がある。筆者が何を伝えたかったのかも、同時にぼやける。
序盤もそうだが、ラストは明らかに蛇足である。無駄を省いた木村友祐『幼な子の聖戦』との違いが表れた。
出版社の概要では主人公のことを「ゲイ」と表現しているが、彼はバイセクシャルなのではないだろうか。個人のセクシャリティを特別なものとして扱うのも、十年前なら斬新だと感じただろう。2020年前後に発表する小説としては時代遅れだ。
芥川賞候補作として
研究者である筆者が小説を書く。何度も芥川賞候補に選ばれては受賞を逃している古市憲寿と似た傾向である。
研究者として出した著作は優れているのかも知れない。しかし、小説は今回が処女作ということもあり、他の候補作と比べると未熟な点が目立った。
後編では、乗代雄介「最高の任務」、古川真人「背高泡立草」 の書評の後、全作品を比較、受賞作を予想する。