文は人なり

フリーライターの若林理央です。ダ・ヴィンチニュースや好書好日で執筆中。小説や映画について語るブログです。エッセイ→note.mu/wakario Twitter→https://twitter.com/momojaponaise

傷ついたこころに寄り添う『絶望名言』

 後味の悪い作品が好きだ。

 小説、漫画、映画、ドラマ…ちょっとしたバッドエンドでは物足りないほど、私は創作物に後味の悪さを求めている。

「なぜ?」と聞かれたら「カタルシスを得られるから」と答えていたが、なんとなく違う気もしていた。

 文学紹介者である頭木弘樹さんの本を読んだとき、その理由がわかった。

 

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NHKラジオ深夜便 絶望明言』(頭木弘樹NHKラジオ深夜便制作班著/飛鳥新社)は、その名のとおりNHKラジオ深夜便」のコーナーを完全収録した書籍である。

 頭木弘樹さんとアナウンサーの川野一宇さんの対話によって進むこの番組は、国内外問わず数々の作家が残した「絶望名言」を、背景とともに紹介する番組で、リスナーの反響があり2018年12月に書籍化、翌年の11月に2巻が発売された。

 

 内容のまえに、まずは頭木弘樹さんについて触れたい。

 二十歳のころ、難病を患い十三年間ベッドでの生活を余儀なくされた頭木さんは、入院した当時大学生だった。

 終わりの見えない闘病生活で頭木さんの支えとなったのが、カフカをはじめとする数々の文豪の文学作品や残された言葉だった。

 努力しようにも努力できない状況に追い込まれたとき、芸術家たちが絶望のなかつづった文章は人を癒す。

 

 たとえば『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)に「人間てやつは他人を苦労者と認めることをあまり喜ばないものだからね」という一節があり、頭木さんはこう解説する。

 

苦労すればするほど、他の人の苦労を認めず、お前は甘い、大したことないというふうに否定するようになってしまうという。これは辛い経験をしたことの負の面、マイナスの面だと思うんですね。

 

 この言葉は、すとんといまのわたしの心に落ちた。

 ちょうど自分自身につらいことがあり、知人に打ち明けると「そんなことは大したことない。自分なんてあなたよりもっとひどい目に遭ってるんだから」と言われたときだったからだ。

 

 ゲーテについての章も自分の今の状況に置き換えて考えられるものだった。

 裕福な家庭に生まれ育ったゲーテは、20代で『若きウェルテルの悩み』をはじめとする自著が高い評価を受け、生涯にわたって数々の恋愛を楽しんだ。

 政治家としても成功し貴族に列せられ、宰相までのぼりつめている。あまりにも幸福に見える人生なので、映画などのエンターテイメント作品で題材にされることは少ないという。

 だが、わたしたちがゲーテの生涯を幸福だと思うのは、それが他人の人生を「あらすじ」としてしか見ていないからだと頭木さんは語る。

 

 ゲーテの人生の細部を見ると、幼いころに弟妹四人が死に、唯一成人した妹を可愛がっていたが、その妹も26歳で世を去った。自分より若い家族との別れは老年期にも訪れ、息子を亡くしている。

 ゲーテ自身は、自分の生涯を幸福だと思っていたのだろうか。

「あらすじ」だけでおしはかるとゲーテは成功者そのものだ。だが、多くの人はその人生の細部にまで目を向けない。

 頭木さんは丁寧にゲーテの人生を見つめることで、その細部に宿る絶望に気づく。これは本作の解説がなければ気づかなかったかもしれない。

 

 人生のあらすじだけを見て「幸せ」と他者がカテゴライズすることは、当事者の傷を深めることになりかねない。

 日本の文豪を例に挙げるなら、川端康成が思い浮かぶ。

 川端は日本人初のノーベル文学賞受賞という栄誉を手にした。しかし、老後、謎の自死を遂げる。

 遺書がなかったため、自ら命を断った理由は諸説ある。

 ノーベル賞受賞後、今までの小説を超える傑作が書けなかったから、可愛がっていたかなり年下の三島由紀夫が先に死んだから…

 後世を生きるわたしたちが理由を想像しても、断定には至らない。

 世界最高の栄誉を得たのになぜ。

 それを問う無意味さをもっとも感じていたのは、ノーベル文学賞受賞後の川端自身だったのかもしれない。

 

 また、若いころから絶望とともに生きた芸術家もいる。

 音楽家ベートーヴェンは難聴をわずらっていた。これは音楽を生業にする人にとって、とてつもない苦しみである。それでも耐え続けたが、名曲「第九」発表後は、時代の需要と合わず評価がどんどん落ちていった。

 ベートーヴェンは自分自身を不幸だと感じていた。

 だが彼は、どうすることもできない障害に苦しみながらも、できることを模索した自分の姿になぐさめを見出してほしいという言葉を残す。

 頭木さんはベートーヴェンの章で「価値のあるものを残すから、生きる価値があるというのではない」とつづる。

 

 川端が死ぬ前にベートーヴェンの言葉を見聞きしたことがあったのかはわからない。

 だが、生きる意味を求めれば求めるほど苦しみが大きくなり、閉塞感をいだくのは、だれにでもありえることだ。

 

 そして、生きる意味、死ぬ意味…もっと身近な例でいうと悩む意味など、すべての事象に意味を見出そうとすることが果たして必要なのか、頭木さんの文章を読んだあと、それぞれが自らに問うことになるだろう。

 

 最後にゴッホの章を例に挙げたい。生前は絵がほとんど売れず、弟テオに養ってもらい貧困にあえぎながら死んだゴッホ。彼はテオに充てた手紙で「われわれを閉じ込めるものが何か」をつづる。

 

悩みというのは普通、かなり正体不明なんじゃないかと思うんですよ。(中略)はっきりした悩みだと思っていても、その周りには言葉にならないものが取り巻いているんじゃないのかなと。

 

絶望的な名言を通して頭木さんが伝える言葉は、普遍性があるものだ。だからこそわたしたち読者のこころの奥深い部分に残る。

 

 こころが疲れたとき、希望を持たせる言葉で背中を押されると、より痛みが深くなることがある。励ました人に悪気がなくてもそうだ。

 

 それなのになぜか、苦しみの渦中で絶望的な言葉に救いを見出すことがある。

 わたしが後味の悪い作品を好む理由も、きっとここにある。

 絶望した人の放つ言葉は実感が伴うからこそ、わたしたちを包み込み、寄り添ってくれるのではないだろうか。