文は人なり

フリーライター・作家の若林理央です。Twitter→@momojaponaise

本を読みながら経験を語るための、序章

仕事でも書いて。

趣味でも書いて。

 

書いて、書いて、書いて。

 

辿り着くのはどこだろう。

 

ただ書いているうちに、重い気持ちがふっとラクになるのを感じた。

10代までの自分の重い荷物も、軽くしてあげたい。

そう思って、初めてnoteでマガジンを作って、1回目をアップした。

 

note.com

 

 

私の好きな山田詠美さんは、エッセイでこのようなことを言っていた。

 

読書は小説を書くための訓練になる。

小説家になりたい人と、小説を書きたい人は異なる。

 

後者は私が思っていたことなのだが、山田詠美さんの考え方だったのか。

これは14歳で初めて山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』を読んで愛読者になってから、よくある。

 

またここで書評も書きたい。

私の辛い過去を救ってくれたのは、本の存在も大きいから。

 

読んで書く。

時に書評を、時に小説を。

はてなブログはそのために作ったのに、使いこなせていなかった。

 

エッセイはnoteに。

書評はここに。

 

そうして分けながら、私は上に張ったエッセイに、読んだ本の感想を取り入れられるかもしれない。

 

書くこと、読むこと。

それしか能のない私は、いつもこのふたつに救われる。

 

私の書いたものが、誰かの救いになっていますように。

「産まない選択」をテーマにしたイベント開催に向けて

※定員に達しました!

ありがとうございました。

 

 

「産まない選択について対話する会」2023年8月26日(土)20時~22時にてオンラインで開催します。

 

 

 

参加費

 

いやがらせ行為防止のため、事前におひとり様につき500円いただきます。

運営費用やZoom有料版の費用に使わせていただきます。

※会費の支払い

オンラインのため、事前にお願いいたします。

銀行振込、PayPay払いにて。

 

主催の若林理央について

女性の生き方の選択肢をライフテーマのひとつとして活動しているフリーライターで産まない選択肢についてZINEも出しています。

 

bunwahitonari.booth.pm

 

 

ルール

 

・匿名でご参加ください。

画面オフ、オンもおまかせします。

何かあった場合に備えて、申し込み時、運営のみが実名をお聞きします。終了時まで他言せず、会の終了後実名でいただいたメールは破棄します。

 

・途中退室は可能です。

・原則として、この会合で話したこと、聞いたことをSNSで発信する、他の人に話す等一切禁止します。

遵守しない方がいた場合、参加者のプライバシーにかかわる問題なので法的措置をとる可能性があります。

 

・議論の場ではないので、他の方の発言を否定することは禁止します。

・いやがらせ行為があった場合、退室していただきます。

特定の方がずっと話し続ける等、全員が心地よく会話できない状態になった場合は、運営から注意喚起をして、三度目の注意喚起でもご対応いただけなかった場合、こちらもいやがらせ行為と見なして退室していただきます。

 

・女性のみご参加ください。

 

男性の方が映り込まないようご配慮ください。

身体男性で性自認が女性の方は、私までご連絡ください。

その他

・発言をするかどうかは自由です。

・やむをえず途中退室をする場合は、運営の私までメールをください。

・オンラインのため、国内外、どこにいても参加可能です。

 

運営メンバー募集(休止)

 

今回は謝礼のお支払いが難しいため、私ひとりで運営いたします。

ボランティアでもやりますという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

 

 

参加を希望する場合

実施日が決まりましたら優先してお知らせします。

「参加を希望」と明記のうえ、rio.wakabayashi429☆gmail.com(☆→@)に連絡ください。

日程が確定したあと、優先してメールさせていただき、その後SNSで募集、最初に参加のメールをいただいた6名の方に参加していただきます。

 

※メールの文面があまりにも非常識だと運営が判断した場合、迷惑行為防止のため参加をお断りすることがあります。ご了承ください。

 

今後の開催

産まない選択からアダルトチルドレン愛着障害について考える会合も考えています。

ご要望がありましたらご連絡ください。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

一日の始まりは、一日の仕事

 

noteに書いた記事の小説バージョンです。

 

note.com

 

視点を私から朝ごはんに切り替えました。

 

ー--------ー-

 

 

 

朝食いは5時台に起きる。

台所の食料たちの目覚めのときである。

 

起きるといつも洗面台、ベランダというコースをたどってから台所に来ることを食料たちは知っている。

 

朝食いは、まずガラスのコップを取り出してから個包装の青汁が入った箱を取り出す。

青汁は、彼らの世界では「トップバッター」と呼ばれている。

朝食いが起きて、最初に喉に通る青汁自身も自らがトップバッターと呼ばれることを誇りに思っているようだ。

 

ただトップバッターはミネラルウォーターを入れないと完成しない弱点があり、混ぜる回数が足りず、ときどき粉がグラスに貼りついたまま残ることがある。

だいたいは朝食いがまたミネラルウォーターを流し込んでその粉を再び青汁にして、トップバッターの役目をまっとうできるのだが、いくつかの粉が残り水で流されることもある。

 

無事、朝食いに飲まれたトップバッターは、残念な気持ちで無駄になってしまった仲間たちを見送る。

 

次に朝食いは、「圧倒的センター」を取り出す。

彼女はトップバッターたちとは違い、周囲に嫌われている。なぜかというと、いつも朝食いの朝食の中心であることを自慢して、自ら「圧倒的センター」と名乗っているからだ。

 

名前が主食ってだけのくせに。

昼や夜になれば、白米に変わる、朝だけの存在のくせに。

 

「欧米では白米より私たちのほうがよく食べられているのよ」という言葉を残して、圧倒的センターはバルミューダという特別なトースターで美しい焦げ目がつくまで焼かれる。

 

うらやましいなあ、とまだ冷蔵庫にいるつるつるのゆで卵は思っていた。

純粋なゆで卵は、朝食いがどんなに食欲がないときも絶対に食べてもらえる圧倒的センターがうらやましかった。

ゆで卵は「忘れられた子」というニックネームがついている。

よく朝食いが冷蔵庫にあるのも忘れ食べないからだ。

 

だが今日は違った。

「忘れられた子」は「忘れない子」になり、冷蔵庫から取り出される。

「いろどり」というニックネームを持つ茹で野菜と一緒に。

 

いろどりは、忘れられた子をとてもいとしく思い、共感してもいた。

自分は「いろどり」という素敵なニックネームをつけてもらってはいるけれど、実際は冷蔵庫にあることを忘れられ、朝は食卓まで行けないことがほとんどだからだ。

その場合は昼に食べられるので、「忘れられた子2」にならないで済んではいるけれど、いろどりもいろどりでいつも不安だった。

 

今日の食卓に全員がそろった。

すでに役目を終えたトップバッター。

ふふんとほかを見下す圧倒的センター。

今日は忘れられなかった、忘れられた子。

忘れられた子に寄り添ういろどり。

 

朝食いが冷蔵庫に行く。まだあるようだ。

「行ってらっしゃい!」

「元気でね!」

食材たちのあたたかい声援が聞こえ、圧倒的センターが眉をひそめる。

 

出てきたのは、クリームチーズ、通称「モテモテ」だった。

圧倒的センターは、最近、ジャムやバター、マーガリンを塗ってもらっていない。

なぜなら朝食いがダイエットをしているからだ。

 

それなのにデザートとしてときどき出てくるのがモテモテだ。

「ねえ朝食いさん、矛盾していません?」と圧倒的センターは抗議したいのだが、選ぶのは朝食いなので仕方がない。

 

モテモテは照れくさそうに、忘れられた子の横に置かれる。

モテモテの隣になった忘れられた子は真っ赤になったが、すぐに朝食いに拾い上げられた。

 

朝食いの一日の始まりは、僕たちの一日の仕事。

「いただきます」

威勢のいい声で、朝食いが食べものや飲みものたちを見つめる。

本棚の悲喜こもごも

図書館の本棚が好きだ。

 

迷い込んでいるうちに、出会うはずだったのに運命のいたずらで巡り合えなかった本、読みたいと思っているうちに絶版になった本、今は書店に並べられることのない作家の本が必ず見つかる。

 

図書館の本棚と本棚にはさまれながら、生まれ、一生を終えることができたら。

 

そんな空想にふけり、うっとりと本棚を見回しているうちに時間は過ぎていく。

 

「もう数時間経つよ」

 

夫にそう言われてようやく時計を見る。

図書館の本棚に囲まれていると、時の感覚すらなくなってしまう。

 

家に戻り、図書館で借りた本を本棚に並べると、何かを成し遂げたような、英雄のような気分になる。

 

周囲には書店や古書店で買った小説や漫画が、じっと図書館で借りた本をにらむ。

特にまだ私が読み切れていない本は、「お金を出して買われたわけでもないのに、返却期限があるから自分たちより先に読まれるんやろ」と図書館で借りられた本を凄んでいる。

 

ちょっと待ってほしい。

 

私はそんな本たちをなだめる。

 

あなたたちは、長いあいだ私といっしょにいられる。

書店の本棚にある本は、時と共に移りゆく。

新刊や話題作が届くと、古い本は次々に書店の本棚から姿を消すことを知らなかった10代のころから、いっしょにすごしてきた本もある。

 

私の悩み、考えていること、人生の変化を、ずっと見てきた、またはこれからも見ていられるのはあなたたちだ。

 

図書館の本棚にあった本は、すでに絶版になっていたり、書店ではもう置いていなかったりするものが多い。

だから、もう少しやさしく迎え入れてほしい。

 

私に買われた本たちは、一変して同情するように図書館で借りられた本たちを見た。

そうか、きみたちはしょせん短期間しかここにいられない運命なのだ。

ほんとうに本棚の主人に愛されているのは自分たちなのだ。

そんなあわれみの目で、借りられた本を見る。

マウントをとるのすらはばかられるといった様子だった。

 

一カ月後。

本棚に新入りが入ってきた。

 

買われた本たちは、先輩風を吹かせ、

「ここの本棚の主人は、本をやたら買っては、読み終える前に次の本を買う」

「まだ読み終えてもいないのに自分たちを眺めてうっとりとする」

積読するタイプだ。覚悟しておけよ」

と私の本棚に並べられる際の心がまえを新入りに伝える。

 

ある本が、「おい、みんな待て」とほかの本たちにストップをかける。

 

「あの新入り、前に借りられてきた本としてここに並んで、一週間で去っていった奴と同じじゃないか…?」

 

新入りが照れくさそうにする。

主人である私はいつものように本棚をうっとりと見つめる。

 

図書館の本棚で気に入った本。

その中には、書店で取り寄せられたり、インターネットでまだ買えたりするものがあるのだ。

 

本棚の中の長老の本が、「私たちは過去から何も学ばず、主人に騙されていたのだ」と重々しく本棚の奥から存在感を示す。

 

「うちの主人は、気に入った本を借りたあとに調べ、まだ買えるなら買う。そんな人なのだ」

 

私は本棚を眺めたあと、にんまりとした。

 

今週のお題「本棚の中身」

【告知】明日(5月29日)開催の文学フリマ東京に出店します

文学フリマ東京に出店します。

出店は2回目ですがひとりで出店するのは初めてです。

ひやかし大歓迎ですのでぜひ遊びに来てください!

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日時:5月29日(日)12時~17時【入場無料!】

場所:東京流通センター第一展示場(東京モノレール流通センター駅から徒歩1分)

サークル名:「文は人なり」(トー44)

来場者入場口から入って左に真っすぐ進むと右手に見えてきます。

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持って行く本はこちら。当日はブースでサンプルを試し読みできるようにします。

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お品書き。『私たちが「産まない」を選んだのは』は文学フリマ限定価格で安くしています。
画像
青い線に沿って進んでいただければたどりつきます。

サンプル
 ・私たちが「産まない」を選んだのは
 ・文章でめし食って9年
 ・絶望の恋愛小説

なお、来られない方は通販もあるのでよろしければご覧ください。

bunwahitonari.booth.pm

 

 

【告知】5月29日の文学フリマ東京から新刊(ZINE、情報同人誌など)を3冊発売します

 

2022年5月29日、文学フリマ東京で新刊を3冊出します。

 

文学フリマ東京にいらっしゃる方は今日(5月1日)から予約開始していますので私のTwitterのDMもしくはbunwahitonari429@gmail.comまで、ご希望の本のタイトルを明記のうえ、ご連絡をください。

 

通販(匿名配送)の予約受付も始めました。

こちらの発送は6月1日からです。

通販ご希望の方は以下のショップページから予約注文していただけると嬉しいです!

 

 

文学フリマ東京でのご購入希望の方は、ご予約分取り置きしますので、キャンセルの場合は5月20日までにご連絡ください。

(急病などで行くのが難しくなった場合は前日でも結構ですのでご連絡ください)

 

こちらは概要の解説ページですので、購入するかどうか検討される際の参考にしていただけたらと思います。

 

情報同人誌『文章でめし食って9年』

A5サイズ、26ページ。

カバーイラスト:杉本早さん

価格:500円

概要:

大好きだった書くことが仕事に。文筆業で生計を立てるフリーライターが今、思うこと。ライターになるノウハウやライターになった経緯などを掲載した情報同人誌です。

本書の「はじめに」全文を掲載したサンプルページを以下に掲載しています。

 

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ZINE『私たちが「産まない」を選んだのは』

A5サイズ、40ページ。

カバーデザイン:イトウミドリさん。

価格:即売会(文学フリマなど)限定価格は500円、その他(通販など)600円。

 

 

概要:

「私は自分の意志で子どもを産まない」

いわゆるチャイルド・フリーが抱える周囲からの圧力や、個人で産む、産まないを選択するということを女性たちへのインタビューや著者のエッセイ、書評からあぶりだします。

本書の「はじめに」全文を掲載したサンプルページを以下に掲載しています。

 

note.com

 

 

映画評・小説同人誌『絶望の恋愛小説』

文庫サイズ、26ページ。

価格:300円。

 

 

概要:

絶望の結末を迎える、味わいの異なるオリジナル短編小説を3篇と、絶望の恋愛を描いた『春の雪』の映画評を収録。

その中の小説1編の序盤を以下にサンプルとして掲載しています。

 

note.com

 

いろいろな方に興味を持っていただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

若林理央

Twitter @momojaponaise

 

傷ついたこころに寄り添う『絶望名言』

 後味の悪い作品が好きだ。

 小説、漫画、映画、ドラマ…ちょっとしたバッドエンドでは物足りないほど、私は創作物に後味の悪さを求めている。

「なぜ?」と聞かれたら「カタルシスを得られるから」と答えていたが、なんとなく違う気もしていた。

 文学紹介者である頭木弘樹さんの本を読んだとき、その理由がわかった。

 

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NHKラジオ深夜便 絶望明言』(頭木弘樹NHKラジオ深夜便制作班著/飛鳥新社)は、その名のとおりNHKラジオ深夜便」のコーナーを完全収録した書籍である。

 頭木弘樹さんとアナウンサーの川野一宇さんの対話によって進むこの番組は、国内外問わず数々の作家が残した「絶望名言」を、背景とともに紹介する番組で、リスナーの反響があり2018年12月に書籍化、翌年の11月に2巻が発売された。

 

 内容のまえに、まずは頭木弘樹さんについて触れたい。

 二十歳のころ、難病を患い十三年間ベッドでの生活を余儀なくされた頭木さんは、入院した当時大学生だった。

 終わりの見えない闘病生活で頭木さんの支えとなったのが、カフカをはじめとする数々の文豪の文学作品や残された言葉だった。

 努力しようにも努力できない状況に追い込まれたとき、芸術家たちが絶望のなかつづった文章は人を癒す。

 

 たとえば『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)に「人間てやつは他人を苦労者と認めることをあまり喜ばないものだからね」という一節があり、頭木さんはこう解説する。

 

苦労すればするほど、他の人の苦労を認めず、お前は甘い、大したことないというふうに否定するようになってしまうという。これは辛い経験をしたことの負の面、マイナスの面だと思うんですね。

 

 この言葉は、すとんといまのわたしの心に落ちた。

 ちょうど自分自身につらいことがあり、知人に打ち明けると「そんなことは大したことない。自分なんてあなたよりもっとひどい目に遭ってるんだから」と言われたときだったからだ。

 

 ゲーテについての章も自分の今の状況に置き換えて考えられるものだった。

 裕福な家庭に生まれ育ったゲーテは、20代で『若きウェルテルの悩み』をはじめとする自著が高い評価を受け、生涯にわたって数々の恋愛を楽しんだ。

 政治家としても成功し貴族に列せられ、宰相までのぼりつめている。あまりにも幸福に見える人生なので、映画などのエンターテイメント作品で題材にされることは少ないという。

 だが、わたしたちがゲーテの生涯を幸福だと思うのは、それが他人の人生を「あらすじ」としてしか見ていないからだと頭木さんは語る。

 

 ゲーテの人生の細部を見ると、幼いころに弟妹四人が死に、唯一成人した妹を可愛がっていたが、その妹も26歳で世を去った。自分より若い家族との別れは老年期にも訪れ、息子を亡くしている。

 ゲーテ自身は、自分の生涯を幸福だと思っていたのだろうか。

「あらすじ」だけでおしはかるとゲーテは成功者そのものだ。だが、多くの人はその人生の細部にまで目を向けない。

 頭木さんは丁寧にゲーテの人生を見つめることで、その細部に宿る絶望に気づく。これは本作の解説がなければ気づかなかったかもしれない。

 

 人生のあらすじだけを見て「幸せ」と他者がカテゴライズすることは、当事者の傷を深めることになりかねない。

 日本の文豪を例に挙げるなら、川端康成が思い浮かぶ。

 川端は日本人初のノーベル文学賞受賞という栄誉を手にした。しかし、老後、謎の自死を遂げる。

 遺書がなかったため、自ら命を断った理由は諸説ある。

 ノーベル賞受賞後、今までの小説を超える傑作が書けなかったから、可愛がっていたかなり年下の三島由紀夫が先に死んだから…

 後世を生きるわたしたちが理由を想像しても、断定には至らない。

 世界最高の栄誉を得たのになぜ。

 それを問う無意味さをもっとも感じていたのは、ノーベル文学賞受賞後の川端自身だったのかもしれない。

 

 また、若いころから絶望とともに生きた芸術家もいる。

 音楽家ベートーヴェンは難聴をわずらっていた。これは音楽を生業にする人にとって、とてつもない苦しみである。それでも耐え続けたが、名曲「第九」発表後は、時代の需要と合わず評価がどんどん落ちていった。

 ベートーヴェンは自分自身を不幸だと感じていた。

 だが彼は、どうすることもできない障害に苦しみながらも、できることを模索した自分の姿になぐさめを見出してほしいという言葉を残す。

 頭木さんはベートーヴェンの章で「価値のあるものを残すから、生きる価値があるというのではない」とつづる。

 

 川端が死ぬ前にベートーヴェンの言葉を見聞きしたことがあったのかはわからない。

 だが、生きる意味を求めれば求めるほど苦しみが大きくなり、閉塞感をいだくのは、だれにでもありえることだ。

 

 そして、生きる意味、死ぬ意味…もっと身近な例でいうと悩む意味など、すべての事象に意味を見出そうとすることが果たして必要なのか、頭木さんの文章を読んだあと、それぞれが自らに問うことになるだろう。

 

 最後にゴッホの章を例に挙げたい。生前は絵がほとんど売れず、弟テオに養ってもらい貧困にあえぎながら死んだゴッホ。彼はテオに充てた手紙で「われわれを閉じ込めるものが何か」をつづる。

 

悩みというのは普通、かなり正体不明なんじゃないかと思うんですよ。(中略)はっきりした悩みだと思っていても、その周りには言葉にならないものが取り巻いているんじゃないのかなと。

 

絶望的な名言を通して頭木さんが伝える言葉は、普遍性があるものだ。だからこそわたしたち読者のこころの奥深い部分に残る。

 

 こころが疲れたとき、希望を持たせる言葉で背中を押されると、より痛みが深くなることがある。励ました人に悪気がなくてもそうだ。

 

 それなのになぜか、苦しみの渦中で絶望的な言葉に救いを見出すことがある。

 わたしが後味の悪い作品を好む理由も、きっとここにある。

 絶望した人の放つ言葉は実感が伴うからこそ、わたしたちを包み込み、寄り添ってくれるのではないだろうか。